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コラム2015

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【2015年コラム】
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『集団的自衛権 VOL.129』 1月のコラム

大きな事件・事故もなく2015年が明けた。平成も27年目に入った。120円前後の円安と17000円前後の株価がどう変動するか専門家の意見が分かれるところだが、庶民としては自分の生活がどうなるか気になるところでもある。
人間の心理として「不安」は二つあるといわれる。一つは「未来への不安」。これから先どうなるのか見通せない漠然とした不安は誰しもが持っている。もう一つは「真っ暗闇」。全くの暗闇で足元に何があるか分からず、手で触れるものもどんなものか分からず手探りで進む時の恐怖は本能が最高値の危険度を示す。
この不安の一つである未来からの恐れから逃れる術は誰であろうとない。逃れる術はないが、歳を重ねることでの経験値が危ない方向へ行かないように修正することができる。歳を重ねることは悪くない。そして多くの先人達が残したこうした経験を現代に生きる我々はいかいしているし、反面同じ過ちをくり返してもいる。時代時代によって緩やかに、そしてある時は急激に時代は変わる。皆平和を望み仲良くしたいと思いながら国同士で、イデオロギーの相違で、又隣人同士で諍いが絶えない。自分たちが平和な世界をつくる、自分が正しい、だから相手をやっつけるのだと。
人に認められたい、存在を知らしめたいという自己顕示欲は誰にでもある。スポーツやゲームでも勝者は充実感を得られ、敗者は悔し泪を流す。ルールがあれば、その枠内での決着で済むが、ルールのない争いや自分がルールを決めるというとそれに反発する勢力が必ず出てくる。今のイスラム国とアメリカがその代表例。
民主主義は選挙があるので、有権者である国民に優位になる政策を打ち出す。そうしないと選ばれないから。そうなると地域同士の利権の対立、国同士の対立。我が先という構図がどうしてもできる。そして利権を勝ち取れば取ったで、それに満足することはなく、もっと欲しくなる。「奪い合えば不足し、分け合えば余る」という先人の戒めは空論となる。又、対立に敗れた方は恨みを残し、いつか見ていろと挽回の機会を虎視眈々と狙う。
新年会で顔を合わせる与野党の国会議員は互いに挨拶もせず知らんぷり。そして檀上で素晴らし事を長々と話す。「先生といわれるほどのバカじゃなし」と掫渝される所以だ。まだ市議や県議の方が互いに挨拶する分マシというべきか。
震災から間もなく丸四年。「復興」途中という声も多いが、そろそろ福島は自分の足で歩み始めてもいいのではないか。福島県人の思いやりのある、互いに助け合う県民性が復興という言葉を押し退ける年にしたいものである。
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『イスラム国 VOL.130』 2月のコラム

イスラム国が世界を震撼させている。日本人の湯川遥奈さんと後藤健二さんが犠牲になり、連日トップニユースとして報道されている。日本政府が救出に最善を尽くしたにも拘わらず、尊い人命が失われた。日本人二人はイスラム国の敵ではなかったが、拘束され人質となり金銭やヨルダンに収容されている死刑囚との交換に折り合いがつかず、犠牲になった。彼らには国際社会の常識が通用しない。自分達が決めたことが法律ということのようだ。
イスラム国はシリア内戦が長引いていることで生まれた。シリアのアサド政権を維持するグループとそれに反対する反政府の内戦は 2011 年に始まった。その内乱に隣国イラクのアルカイダ勢力であるイラク・イスラム国 (ISI) のヌスラ戦線が介入、住民の支持を得た。 2013 年 4 月に ISI の指導者パグダディがヌスラ戦線と自分の組織を結合しイラク・レバント・イスラム国 (ISIL) にすると発表。ヌスラ戦線の高官ジャウラーニはこれを拒否。アルカイダ首長ザワヒリがが「パグダディはイラク、ジャウラーニはシリアに注力せよ」と指示。これをパグダディが拒否。ほどなくヌスラ戦線が分裂。戦士たちはパグダディの ISIL に加担。シリアの都市ラッカを武力占領し、この地域でイスラム法シャリアによる統治がなされる。昨年 2 月 ISIL はアルカイダと決別し、 6 月パグダディはイスラム国を宣言。シリア北東部とイラク北部地域を領土とした。シリア内戦は複雑化していき、国際社会の対応も解決することは困難の状況になっている。
シリアの反政府勢力を援助し、アサド政権と対峙してきたアメリカはアサド政権より頭の痛いISILに向き合うことになった。皮肉にもISILに対してはアメリカとアサド政権が手を組む可能性もあるといえる。拙速な介入を躊躇してきたオバマ大統領は昨年9月からISLL占領地域に空爆を継続。だが、シリア内でISILの占領地域は次第に広がっている。シリアの反政府勢力はISLLとは一線を画しているが戦力は低下している。つまり現状のシリアはアサド政権、反アサド政権、ISILと3つの勢力構造になっている。アメリカは反アサドだったのだが、副産物ともいえるISILに手を焼き、アサドは後回しにせざるを得ない状況だ。
ISILは大国の力に反発する若者達をネット上で巧みに取り込んで、勢力の衰えることはない。アルカイダとも違うテロ集団がこのように新たに出てくるということは、世界大戦を2度経験した人間達がまだまだ懲りていないという証でもある。
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『向上向下の道 VOL.131』 3月のコラム

「人は生まれると、無意識に向上門をくぐり、向上に励む。己とは何かを問いかけ、一歩ずつ向上の道を上がっていく。それは独りの道である。一人を究めたことをどんな人にも分かる言葉で示せるかを試される門。向下門を下り得た者がその人生を生き抜いた者だ。禅の言葉である。
一種の本能として自己を向上させたいという思いは誰にでもある。幼い時は意識せず、色々な事に興味を抱き知りたがる。そして自己が目覚め、自己欲求を満たそうとするが、満たした途端次の欲求に気が向く。ある時期から満たされていた欲求が思うように満たされないようになる。そこでジレンマ、我慢すること、他人への思いやりなどの分別ができ、孤独を感じ始める。欲求と孤独の狭間で人間として成長していく。
一人を究めるとは孤独に打克ち独り立ちできた状態をいう。通常、年齢を重ねることにより人は自立できる。自分のことを自分で責任を持てるようになれば、向上門の入口。後から来る者に灯を灯し導く。人生はいつでも誰でも迷いながら手探りで不安を抱えながら歩む。少しでも前の人の灯があればどれほど心強いことだろう。先に行く人の灯かりに気づき、感謝して、その灯を糧とすれば、人生は楽に生きられる。又後から来る者にはこの灯を意識して灯してあげ、道を踏み外さないように照らしてあげる。そしてそれが継続していけばよりよい世の中になる。
先月二月川崎市の多摩川河川敷で中学一年の男子が遊び仲間の少年に殺害されるという痛ましい事件が起きた。連日大きく報道され、国会でも取り上げられるなど社会に与えた影響は大きい。大人は何故防げなかったのか。少年達の心の闇の解明が待たれる。この事件の他にも、あまりにも身勝手で抑制が効かない事件が相次いでいる。
きちんと灯を灯す先人が少なくなった。後輩達に道を示すことをせず、自分のことで精一杯、今を楽しく、といった大人達が今の世の中を主導している。格差が広がり、貧富と強弱の差が大きくなった。富む者・強い者が、貧しい者・弱い者を労わるということが少なくなった。現代社会の申し子とも言えるのがこの差なのだろう。
人は孤独だが、一人ではない。原点に帰り、相手も同じ赤い血が流れていることを強く思うことが大事。上がる向上は自己の道。大人は灯を灯そう。
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『人間の勝利 山村 暮鳥 VOL.132』 4月のコラム

人間はみな苦しんでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しっかりしろ
人間のすよさにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木を
その梢が烈風を切ってゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に食ひいるその音のいみじさ
何が君たちをくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
恥辱(はぢ)を知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたふれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視(みつ)めて
大木のやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であり
それでこそ人間だ
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『内省 VOL.133』 5月のコラム

道に車道もあれば歩道もある。車は車道を走り、人は歩道を歩く。車が歩道に乗り上げたり、人が車道に飛び出したりすると、怪我をしたり命を落とす事故につながることもある。人生も道理に適った道を歩かなければならない。
「君子は易(やす)きに居(お)りて以(もっ)て命(めい)を俟(ま)ち」(中庸)。人間にはきちんと歩くべく人としてのルールがある。「命を俟ち」とは天命を待つ、天に任せるということ。君子、即ち立派な人物は、いかに辛く苦しい状況下でも自分のやるべきことを道に適うようにまっしぐらにやっていく。天はそれを見ていて、必ず運が開けるように取り計らってくれる。
「小人(しょうじん)は険(けん)を行いて以て幸いを徼(もと)む」(中庸)。小人つまりつまらない人はそのルールを踏み外し、目先の快楽や利益を追いかける。それは一時は上手くいっても、長くは続かず、お年穴に落ちたり、振り返ったら誰もいなかったなんてことは古今東西、国や地域を問わずよくあることは歴史が証明している。これ位はと軽く考えて険を行い、たまたま上手くいって、味をしめると同じように繰り返す。それがその人の人格を形成する。そうするとそれまで上手くいっていたことが、ある日突然又は本人が知らない間に徐々に上手くいかなくなる。なぜか分からないが、これが世の中の法則のようである。お天道さまは見ているということだ。ルールに沿って進むことは遅いようであっても、人生の晩年には天を楽しむ安楽な生活に繋がっているということなのだ。
「己を正しくして人に求めざれば、即(すなわ)ち、怨(うら)み無し。上(かみ)天を怨みず、下(しも)人を尤(とが)めず」(中庸) 人は得てして自分は正しい、間違っていないと思いがちで、人に求めたり強要したりする。そうして怨みを買うことが往々にしてある。特に上に立つ者は注意しなければならない。又認められないからといって人のせいにして怨んだりせず、自分が未熟だと思い精進することが大切。相手が悪いといっても好転はしない。自分が生身の人間だから時にぶつかることがあっても、そのキズは美しき模様とし、怨みを残さず、相手の直球を上手くかわす術を身につけ、世の中を楽しみたいものである。
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『価値基準 VOL.134』 6月のコラム

今年は終戦70年。敗戦時、アメリカによって占領政策が行われたことは、戦後日本の方向性を決定づける大きなターニングポイントとなった。憲法改正で国民主権が定められ、個人の権利が尊重され、また民法改正でそれまで長男しか相続されなかった親の財産が、子ども達全員に平等に相続されるようになった。さらに教育改革でアメリカ式の学校制度が導入され、多くの新たな大学が設立された。これにより大卒人口が増え、人口増加の波にも乗って消費が飛躍的に拡大。日本が奇跡的な高度経済成長を成し遂げた一因となった。
戦前の日本は、個人は全体のためにあり、個人よりも国が上位という教育が施され、価値基準が国のためなら「善」、国のためにならないなら「悪」ということになっていた。これがアメリカ占領政策により、個人の権利が重要視される時代に入ると、個人にとって「損」か「得」かが価値基準の主流に変わった。善悪に比べ損得は卑しい印象を受けるが、敗戦の窮状から脱していく上では的確な機銃だったといえるだろう。努力し頑張った者が富を得るという構図ができ、各人が自分の能力を発揮できる環境になり、この価値基準に基づいて経済大国への道を歩み始め、国が発展した原動力となった。
戦後の食うや食わずの状況から、衣食住が満たされて生活が豊かになってくると、各人が自分に合った好きな暮らしをしたいという欲求が高まり、価値基準は「好き」か「嫌い」かへとシフトしていった。機能性よりも見た目のデザインや個人の好みを重視した商品を求め、大量消費から人と同じものではなく自分だけのものを欲する傾向が強くなり、商品は同じでも多くの銘柄が出回るようになった。タバコなどはなんと種類の多いことか。
「好き」「嫌い」の価値基準が行き過ぎると、大衆の心理を悪用した偽物が出回ったり、いかがわしい人間が台頭してきたりする。新聞に毎日のように載っている詐欺等の記事を見ていると、人を信じられないとなってしまう。個人の権利が尊重されるということは自分の判断は自己責任になる。アピールが上手な人の方に人は心惹かれるというのは少しでも得を取りたいという心理が働くから。得をもらったと思っていたら実は損させられたりして。甘言には下心があるものだ。
社会の情勢により「善悪」「損得」「好き嫌い」の大きな価値基準の流れはあるにせよ、自分の判断がどの基準に重きを置いているのか自覚しておくことは大事なことだろう。
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『AIIB VOL.135』 7月のコラム

「国際的に独立しかねない」との見方もあるが、日本政府は中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への設立参加をみあわせた。57か国が参加を表明しているAIIBには米国も不参加で、安倍総理は組織の運営、審査基準が曖昧であると指摘している。なによりも中国共産党が主導権を握るということが重要な点だ。一部マスコミは「バスに乗り遅れてはいけない」と煽るが、バスの運転手が危険なドライバーであり、事故に遭うリスクが高いといわざるを得ない。
AIIBの前提となる四兆円といわれる外資準備高のほとんどは、海外に家族や資産を移し海外逃亡を目論む官僚、いわゆる裸官によって、すでに虫食い状態になっている。中国は設立時の資本金を一千億としているが、現実にはお金がない。だから国際銀行をつくり、他国の金を当てにしてファイナンスしようという算段だ、という話もある。
AIIBに57か国も参加した理由の一つは、日本主導のADB(アジア開発銀行)と比べて貸付基準が甘いため。任期5年の総裁は初代ポストを中国が握り、金立群元財政次官が就く見通し。総裁ら執行部の権限が大きく、中国は議決権の26%余で、事実上の拒否権を持つ。貸出基準も不明確で、ルールづくりやその他で発足は今年末を目標にしているが、不安要素が多い。日米の金とノウハウを当てにしなくては発揮できないという見方もあり、中国には資金の四割を日本に負担してほしいハラがあるらしく中国財務省は日本にラブコールを送っている。
ADBの貸付残高538億ドルのうち中国は26.8%を占め、その返済が終わらないうちから国際銀行をつくろうというのだから、開いた口が塞がらない。4月にジャカルタで行われた日中首脳会談は5ケ月前の会談の時とは打って変わって習氏が笑顔で安倍総理と握手を交わした。その裏にはAIIBの参加を望む顔がある。
中国がAIIBを設立したい思いにはもうひとつ別の意味がある。現在IMF(国際通貨基準)が認める国際通貨は、ドル、ポンド、ユーロ、円の四種類。人民元が国際通貨と認められてないのは固定相場であるため。国際的な信用度が低い相場のままAIIBを推進しようという発想には無理がある。中国はAIIBを布石として人民元を世界の基軸通貨としたい狙いがあるようだ。米国はドル体制に対する挑戦と受け止めている。中国が動けば米国が黙って見ているとは思えない。
国際通貨に認められていない中国が、AIIBを足がかりにして、世界の経済体制に揺さぶりをかけようとしていると見るのは深読みだろうか。
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『ご利益・功徳(ごりやく・くどく)VOL.136』 8月のコラム

神社で柏手を打ち、家内安全・無病息災・商売繁盛とご利益を祈願する。神社にお参りして祈願すれば叶うならこれほど楽なことはないが、祈願したからといってそうにはならない。分かっているのにも拘らずどうして神社にお参りするのか。どうしてこんなに多くの神社が身近なところにあるのか。どんなものにも神が宿っていると考える。「神萬の国」日本ならではの神信仰が伝統としてDNAに染み込んでいるのだろう。
禅宗の開祖である達磨大使は、インドの王子だった。出家して、お釈迦様からみて第27代の尊者に師事し、第28代継承。27代の遺言により中国に渡った。最初に梁(りょう)の国の王である武帝に招かれた。武帝は「仏心天子」と称される程、仏教の熱心な信者で、多くの寺を建立し、僧侶を供養し、自ら経典を講義する程であった。それ故、28代目の尊者がインドより来たと聞くと、喜んで迎えいれた。武帝は早速達磨大使に尋ねた。「私は即位以来寺を造り経典を写し、数え切れない程の僧を供養してきました。この私にどれほどの功徳があるでしょうか」と。武帝は達磨大使からお褒めの言葉を頂けると内心大いに期待していた。ところが、達磨大使の言葉は「あなたの行為はただ人間界の小さなことに過ぎず、それに囚われると迷いの原因になりかねません」 武帝「一体真の功徳とはどのようなものですか」 達磨大使「廓然無聖(かくねんむしょう)」(カラッと晴れ渡った青空のように何もない心境)。問答が噛み合わない武帝は「一体ななたはどなたですか」と問う。達磨大使は「不識(ふしき)」(知らん)と煙に巻く。達磨大使はこれでは話にならんと魏(ぎ)の国に渡り、壁に向かい9年間座禅した。これが面壁(めんぺき)9年である。この故事は神仏を拝むことは大変結構なことだが、ご利益を求めることは筋違いだということを諭している。
自らを益する、自分の為というのが功徳。他を益する、人の為になるというが利益。現代は功徳という言葉は死語になって、儲けのことを利益といっているようだが、利益の本来の意味は他人の為になることをいう。
神社の参拝でご利益を求めないとすれば参拝の大義は何か。宮本武蔵が五輪書で語っている「神仏を尊び、神仏に頼らず」というのが答えではなかろうか。
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『平家物語 VOL.137』 9月のコラム

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
平家の栄華と没落を描いた有名な平家物語の冒頭分である。誰でも人生で好調な時期があるが、それはいつまでも続くものではない。逆に不調な時期でも腐らずに努力していればいつか好転する。好調が先か不調が先かはそれぞれの人生があるので自分では選べない。裕福な家庭に生まれ、不自由なく幼少を過ごしても、何かのきっかけで塗炭の苦労をしなければならない境遇になったなどということはよく聞く話だ。子供の時は食うや食わずで、人に言えない涙を流し、大変な思いをした人が、大人になって大成したなどということもよくある話だ。
人に限らず地域や国にも当てはまりる。18世紀、英国、オランダ、ポルトガル等欧州列国は大海原に繰り出し、競うように他の地域を植民地として蹂躙した。その後大きな戦争を経て、20世紀はアメリカが国際社会の警察といわれる程の影響力を発し、世界の秩序はアメリカの意向に左右された。
そして21世紀はアジアの世紀と言われる。実質アジアといっても中国のこと。今世紀になって中国の世界における影響力は増すばかり。経済力もさることながら、軍事力は近隣諸国の大きな脅威となっており、日本もその渦の中に巻き込まれている。共産国が長くは続かないとみる向きもあるが、中国の内部崩壊を待っている状況ではないだろう。このまま中国が国家として存続するならそんなに遠くにない将来にアメリカを凌ぐことは明白である。栄華を極めた欧州列国がアメリカにとって代わられたように中国がアメリカにとって代わるのだ。
盛者必衰は今も昔も変わらない。盛んになるということは必ず衰えるということも肝に銘じ、その時々を精一杯生きることだ。若者でも老人になる。人も国も企業も栄華と衰退を必ず繰り返す。否、宇宙でさえ永遠ではない。と考えれば日々の小さなことで一喜一憂している自分がちっぽけな存在に感じる。せめて驕らないように心掛け、秋の夜に栄華の夢でも見るとするか。
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『必要だから VOL.138』 10月のコラム

中国「十八史略」の故事のひとつに「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)がある。
春秋戦国時代、斉(せい)の国に猛嘗君(もうしょうくん)という優れた人物がいた。斉王の異母弟で、多くの食客を抱えていた。周りの人の中には大勢の人にただ飯を食わしていることに顔をしかめる者もいたが、猛嘗君は意に介さなかった。
そんな猛嘗君の噂を聞きつけた秦の昭王が、ぜひ会いたいと会見を申し込んできた。秦は大国なので無碍に断ることもできず、猛嘗君は食客を伴にして遠方の秦に出向いた。ところが猛嘗君の優秀さに気づいた昭王は、猛嘗君をこのまま帰せば将来、秦の脅威になると恐れ、国に帰そうとせず幽閉してしまった。
囚われの身となった猛嘗君は一計を案じる。昭王に寵愛されていた幸姫にとりなしを依頼。すると幸姫は猛嘗君が所持してきた狐白裘(こはくきゅう・狐の白毛のコート)をくれれば、昭王にとりなしてもよいという条件を出してきた。この申し出に猛嘗君は頭を悩ませる。狐白裘は既に昭王に献上してしまっていたからだ。困っている猛嘗君に同行してきた食客のひとりが言った。「昭王の蔵から狐白裘を盗んできましょう」彼は盗みに長けた人間だった。彼の手によって狐白裘が盗み出され、猛嘗君は幸姫にそれを出し、姫のとりなしで昭王から帰国の許しを得ることができた。
狐白裘を盗んだことがバレぬうちに一刻も早く秦を離れたい猛嘗君一行はその夜、暗闇に紛れ出発。次なる障害は、交通の要所、函谷関(かんこくかん)。函谷関は朝に鶏が鳴かないと門を開けない規則になっている。猛嘗君一行が函谷関に辿り着いたのはまだ夜半。昭王はもう盗まれたことに気づいて追っ手を差し向けたという情報も猛嘗君の耳に入ってきた。このまま夜明けまで待っていたのでは昭王の追っ手に捕まってしまう。この時、「私が鶏の鳴き声を真似ましょう」と進言したのが、これまた同行していた食客のひとり。彼の見事な鳴き声に周辺の鶏がつられて一斉に鳴き出し、番兵は朝が来たと思い込み門を開く。追っ手が函谷関にやってきた時には時既に遅しで、猛嘗君一行は無事自国に逃れることができた。
この故事は、一見何の取柄もない人間でも、何か一つ位は秀でたものを持っている、どんな才能でも使い道があるということを示している。又この世に不必要な人などいない、必ずこの世に必要だから命をもらっているということを暗示している。
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『目指す人間像 VOL.139』 11月のコラム

人間というものは、人から愛されたり、守られたりしていることに対して極めて鈍感である。逆に、自分の意に沿わないことに対してはとても敏感である。
人間というものは、楽な環境に身を置いている間は決して成長しない。苦境に立った時、困った時、自分の能力を超えることを求められる環境に身を置いた時、沢山の気づきを得、成長する。
自ら苦しい立場に身を置く人はまずいない。何らかの外圧、例えば自然災害や事故に巻き込まれる等自分の意志とは別の要因で苦境に立つ。その時に開き直り、覚悟の決断ができるかどうか。生死を懸けた決断を迫られる状況に陥った時にその人間の本質が試される。本質とは生まれた時の親の愛情に関わっている。赤ちゃんの時の親の接しかたに大きく影響を受けるとされている。三つ子の魂百までもと言われる所以である。
人間厳しい環境になると否応でも自分で考えなければならない。それまでの自分ならできないと思っていたこと、不可能だと思っていたことに対して、能力を高め、磨き、何とかしようと行動を起こす。一人でできないとなれば誰かの協力を得ようとする。その時、人の有難さに気づく。そうして乗り越え、不可能を可能にしていく。その過程で笑いものになったり、嘲笑されたり、厳しく反対、抵抗を受ける。それらにじっと耐え、涙をこらえ、歯を食いしばって、自分を信じてやり続けると、そのひたむきさ、一途さに誰かが手を差し伸べてくれる。損得の勘定を抜きにして手伝ってくれる人が現れる。世の中には得にならないことをやる人、敢えて損をとる人が何人かいる。(この敢えて損する人が多い地域は穏やかで住民の幸福感が高い。都会より片田舎の方が心が安らぐのは田舎に住んでいる人の方が損得を考えないで生きている人が多いからだろう。)
生きている限り色んな問題、困りごとが次から次へと起こる。それを乗り越えることによって人は成長し、強靭な精神が養われ、人生も変わっていく。問題によって人生がダメになることはない。逃げずにいかに対処するかにより人格が磨かれ、頼りになる人物になる。みんなから一目置かれる人は、小さいことにクヨクヨしないが小さいことを大切にする。自分との約束を守るが、人には寛容だ。年齢を重ねる毎にその層が厚くなるので一層依頼される事が増えるが、「あの人なら」とトラブルも丸く収まる。そういう人はまずいないが、せめてそういう人物を目指したい。
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『ねね VOL.140』 12月のコラム

11歳のねねが小男木下藤吉郎と結婚したのは1561年(永禄3年)である。25歳の藤吉郎は織田信長の足軽頭になっていたが、ねねの方が家格が少し上であった。やがて秀吉はねねの貢献もあって関白までに登りつめ、ねねは北政所と称されるようになる。秀吉は信長の妹・お市の娘、茶々(淀君)を側室に迎え、鶴松が生まれた。ねねが生涯得られなかった秀吉の子を産んだことにより淀君とねねの「女の戦い」が始まり、この戦いは日本史に大きな方向性を与えることになる。
関東の北条氏を潰して全国制覇を遂げた喜びも束の間、秀吉は鶴松を幼くして失う。ほどなく淀君はお拾い(秀頼)を産む。子を産めなかったねねには再び忍従の日がはじまる。秀頼可愛さのあまり、秀吉は次第に狂気を帯びていく。養子に迎えていた秀次を切腹に追いやり、無謀にも朝鮮出兵を断行。
淀君は秀頼を産んではいたが、秀吉は長らく苦楽を伴してきたねねには頭が上がらなかった。ねねは秀吉の身勝手を寛容に受け入れていた。秀吉の出世に貢献した正妻としての自信、矜時からだろう。1598年(慶応3年)秀吉は息を引き取る。ねねは50歳だった。落飾して高台院を称し、秀頼と淀君に配慮して大阪城を出て、京都三本木に移る。淀君は秀頼と大阪城に入城。ここでは、秀頼を産んだ淀君の勝ちであった。しかし、秀吉の遺臣たちは二分された。ねねのもとには、子飼いの加藤清正、福島正則、浅野長政、黒田長政らの武闘派が、淀君のところには石田三成、増田長盛、長束正家、小西行長、前田玄以などの官僚派が集まり、この勢力図がそのまま関ケ原の合戦へ展開していく。
ねねは徳川家康と手を組む。諸将をまとめて、これからの戦のない世の中をつくるには家康しかいないと読み冷静な選択をした。と一般的には言われているが果たしてそうだろうか。淀君との確執、秀吉の派手な女性遍歴に対する女の情念がねねの豊臣家存続を薄めたとみるのは穿った見方だろうか。もし、ねねが家康と組まず、豊臣家の永続を願い武闘派を操縦したら歴史は変わっていただろう。ねねという一人の女性の胸中ひとつで変わっていただろう。
ねねの後押しもあり武闘派の武将たちを巧みに利用し、家康は秀吉の死から2年後の1600年(慶応5年)9月15日、関ケ原で大勝し、天下取りに大きく前進する。1614年(慶応19年)の大阪冬の陣と翌年の夏の陣で淀君と秀頼は大阪城で自刃し、豊臣家は滅びた。最終的に勝者の側に立つことになって、家康から大名級の1万6千石の領地(後家分)を得たねねの心中は複雑であったろう。1624年(寛永1年)9月6日、豊臣の栄華と滅亡を見届けたねねは77歳でこの世を去った。
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