代表 菅原

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『  12月 今年の感慨VOL116 』 十二月のコラム 上へ

 時は巡り、月日は流れ、早今年も12月。原発の報道は少しずつ減り、除染は徐々にではあるが進んでいる。今年を振り返ってみた。

  まず4月に行われた郡山の市長選挙。現役の市長が落選、新たな市長が誕生した。郡山市から始まったこの現職市長の落選はその後いわき市、福島市、二本松市と続き其々新人の市長誕生となった。原発事故への対応の不満、除染の遅れ等が新人候補の票に流れたと報道されている。本来国がやるべき事への憤りが選挙結果に繋がったとなると新市長になっても同じことなのでは?と思うのだが、、、郡山市長選では互いに中傷するようなスローガンを掲げて後味の悪い選挙戦になったことは残念だった。

 復興支援ということで福島には多額の税がつぎ込まれ、東電の賠償金と絡んで建築業をはじめ経済の動きは良かった。震災前は仕事を探す人で列をなしていたハローワークだが、今は人手が足りず、ほとんどの業界で募集しても集まらないようだ。除染や建築に人手が回っているのが現状で、人件費も部材も値上がりしている。人は給料が高いところに流れ、県外からも働きに来ている人も多い。アパートも入居率が高い状態が続いている。又原発で避難してきた人の中には我が家への帰還を見切り、仮設や借上げの住宅から住宅を購入する人も多くなってきた。これから自宅や所有地の賠償が決まれば、住宅購入者が増えるだろう。又地元に住んでいる人も消費税や金利上昇の懸念もあり、持ち家を買う人が増えたようだ。ハウスメーカーや工務店の注文住宅は半年から1年待ちとのこと。建売も売れている。

 住宅が売れると、家電や家具も波及効果を及ぼす。人が増えると飲食店も繁盛するし、多くの業種にお金が落ちる。放射能の風評の痛手は現在でも残るが、県内にいる我々は日常で意識することはほとんどなくなった。まだまだ避難先で大変な思いをしている人も多いと思うが、今年は各自が其々の新たな道を歩き始めたようだ。いつまでも嘆いていられないし、そろそろ今の生活の環境に慣れてきたのではないか。そして福島県人は逞しくなったのではなかろうか。来年はさらに強くなった福島の人々を見てみたいものだ。

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 さて、又新たな年が始まる。人はミッション(使命)を持って生まれてくる。その使命にきづき自分の為すことをしっかり為す。今年も多くの方々の多大の恩をいただいた。ありがとうございました。皆様、良い年をお迎えください。

『  11月 オムニバスVOL115 』 十一月のコラム 上へ

 ・自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる。その外物が案外当てにならないことを覚えると「道に入る」のである。衆人は財産とか地位とかを重んじる。衆人の仲間だけでは満足せず、それ程出来ていない人物は文章とか芸術を重んじる。〔下士〕その上になると、何か功業をたて名声をあげることを重んじる。〔中士〕一番の人物は道徳を重んじる。〔上士〕

 ・宿命に任せたら自分がない。自己を確立して人生を創ろうとすると運命を打開することができる。放っておけば被害を生ずるかも知れない水も、うまく治山治水をやりさえすれば、作物を潤し、観光名所になったりする。同じことである。

 ・正道を知らなければ、不覚をとる。どれだけ才覚があっても、独学だと、得てして自分免許になり、思いがけず失敗をする。本筋の修行をしなければならない。

 五悪 1 仕事が出来て、心険しい。
     2 行が偏向して、頑固。
     3 言うことが偽で、口が達者。
     4 くだらぬことばかり覚えて、博識がある。
     5 悪勢力について、恩を売る。         〔荀子〕

 五善 1 人として常に何が善かを自問。
     2 親しい仲間を思う。
     3 礼儀を尽くす。
     4 政治の要を問う。
     5 艱難を問う。                   〔左伝〕

 五美 1 人に恵んで厭味なし。
     2 労して怨みず。
     3 欲して貪らず。
     4 豊かで驕らず。
     5 威あって猛からず。               〔論語〕

 

『  国の借金VOL114 』 十月のコラム 上へ

 「国の借金の残高が、2013年6月末で1,000兆円〔内国債が830兆円〕を突破した。国民1人あたり約792万円の借金を抱えていることになる。」財務省が8月9日に発表した「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高〔平成25年6月末現在〕」の数字を基に、先日各メディアが報道を行った。

 「国の借金」というと、「日本国の借金」と一般的はは思われているが、「国の借金」とは「日本政府の借金」を指す。つまり正しい表現は「日本政府の借金が1,000兆円」である。この日本政府の借金1,000兆円の内、830兆円が国債である。欧州危機を引き起こしたギリシャは国債の過半を外国人に依存しているが、日本の国債の90%以上は国内で消化されている。日本国債のほとんどは日本人が購入しているのである。

 したがって、日本政府に借金1,000兆円あり内に830兆円が国債なので数%の外国人の持分があるにしても日本国民が日本政府に830兆円を貸し付けているということになる。

 「国の借金、1,000兆円。国民1人あたり約792万円の借金」との記事を目にした国民は、「日本は大変だ。私たちはそんなに借金を背負っているのか」と誤解してしまう。事実そういう国民が大半である。こういう虚実に関して2011年2月20日のNHK日曜討論で国民新党の亀井亜紀子議員〔当時〕が、日本が財政危機だという前提に立って、無利子非課税国債を出せばいいのではないかと財務省幹部に問うと「そんなもの〔無利子非課税国債〕を出したら、日本の財政は大変だと海外に思われる。そんなもの必要ありません」と一蹴され、さらに亀井議員が「えっ?日本は財政危機じゃないんですか?」と聞くと、財務省幹部は「心配ありません」と答えたという。

 日本と欧州の財政危機の国々と一色で見てはいけない。冷静に私たちの日常生活を振り返ってみても、日本の財政が切迫しているという危機感がないに等しいのも頷けるというものである。

 

『  歴史認識問題VOL113 』 九月のコラム 上へ

 一連の歴史認識問題に関する中韓の主張が激しくなり始めたのは1980年代に入ってからである。1982年に「教科書問題」が起きた。当時中華の経済状態は惨憺たるもので、この年から約3年に渡り、日本から韓国へやっく1500億円もの援助が行われている。中国に対しては1979年に第一次円借款の供与が決まり、2007年までに実に28年にわたり約3兆円ものODAを投入してきた。このODAの一部が北朝鮮に流れたともいわれている。

 この資金援助により中韓は「日本は歴史認識に圧力をかければ金を出す」ということに味をしめた。84年に南京大虐殺、85年には靖国参拝を問題にし始めた。以後、毎年終戦記念日が巡ってくると騒ぎ出すようになったのである。そして従軍慰安婦問題。88年に開催されたソウルオリンピックの後、韓国経済は坂を転げ落ちるように一気に不況へ転落した。一方同じ88年「朝日ジャーナル」に「日本は朝鮮と挑戦人に公式に陳謝せよ」との広告を隔週で15回掲載。それが同誌の記事になり、朝日新聞本紙の「慰安婦キャンペーン」に進展していった。そして90年、日本は韓国に995億円余りの援助を行っている。金の移動と歴史認識問題が一致しているのである。

 93年に発表された「河野談話」で日本が慰安婦に対して軍の強制性を認めたような形になった。韓国女性だけでなく日本の女性にも慰安婦が多くいた。その多くが経済的な理由で置屋等にうられたものだ。そもそも従軍とは従軍医や従軍僧等のように国が派遣し、軍に従するものである。慰安婦は従軍ではなく、軍隊の近くにテントを張り、業者が金儲けとして軍人相手に女性を世話していたもので、軍もそれを黙認していたにすぎない。さらに慰安婦は戦争にはつきもので、日本だけではなく各国の戦場にいたのである。

 韓国は慰安婦問題を経済が落ち込むたびに持ち出して、98円に韓国経済が破綻してIMFの管理下に置かれた際、「日韓共同宣言」を交わし、日本が1兆4千億の援助を行う代わり、従軍慰安婦をはじめとするすべての歴史認識問題を終結させる約束だった。こういう約束を反故にし、韓国は米国に従軍慰安婦の碑を建てたり、竹島問題などのロビー活動を積極的に行っている。もはや韓国にとって歴史認識問題は、日本に金を出させることはもちろん、日本を貶める形で自分たちの国際プレゼンスを高める道具になっている。このままだと日本はレイプ国家のレッテルを貼られることになってしまう。終戦の日に靖国神社を参拝できなかった総理の胸の内は察するが安倍外相の毅然とした姿勢を望む。
 

『  菜根譚 〔さいこんたん〕VOL112 』 八月のコラム 上へ

 己の情理は 順なるあり 順ならざるあり 而〔しか〕して能〔よ〕く人をして皆順ならしめんや 此〔これ〕を以〔もっ〕て相観対治〔そうかんたいじ)せば これまた一の方便の法門なり
  「自分の感情は 常に理に叶っているわけではない それなのに 人に対して 常に理に叶っていることを期待するのは間違っている このように他人と自分を比べて物事を判断することも ひとつの方法といえる」

 払意〔ふつい〕を憂うるなかれ 快心を喜ぶなかれ 久安を恃〔たの〕むなかれ 初難を憚〔はばか〕るなかれ 
  「思い通りにならないからといって くよくよ悩むことはない 思い通りになったからといって有頂天になってはいけない 今の幸せが続くと思ってはならない 何かを始めて出鼻を挫かれたとしても逃げてはいけない」

 人生の福堺禍区〔ふっきょうかく〕は皆念想より造成す
  「幸福か不幸かは 心が決める」

 福〔さいわい〕は徼〔もと〕むえからず 喜神〔きしん〕を養いて 以て福を招くの本〔もと〕となさんのみ 禍は避くべからず 殺機を去りて 以て禍に遠ざかる方となさんのみ
  「幸せに暮らすことである これが幸福を招く秘訣だ 不幸は避けたいと思っても避けられるものではない 大事なことはイライラして人に当たったり 暴言を吐いたりせず 常に思いやりの心をもって接することだ これが不幸を避ける秘訣である」

 利欲は未〔いま〕だ尽〔ことごと〕くは心を害せず 意見は乃〔すなわ〕ち心を害する蟊賊〔ぼうぞく〕なり 声色は未だ必ずしも道を障〔さまた〕げず 聡明は乃ち道を障ぐる藩屏〔はんぺい〕なり
  「私欲は必ずしも悪いことではない それよりも悪いことは我を張って人の意見に耳を貸さないことである 男女間の愛欲は 必ずしも修養の障害にはならない それよりも障害になるのは 詳しく知りもしないのに 知ったがぶりをすることである。

『  苦しみの日々 哀しみの日々 茨木のり子 VOL111』 七月のコラム 上へ

苦しみの日々 哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリくらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気づく
あれは自らを養うに足りる時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴〔ざくろ〕のような傷口も
わかったとて どうなるものでもないけれど
  〔わからないよりはいいだろう〕

苦しみに負けて 哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのはごめんである

受けとめるしかない
折々のちいさな刺〔とげ〕や病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから

世の中自分の思うようにはいかぬもの。嫌なこと、苦しいことをしっかり受け止め、自分の内面を見つめ、自己を省察し、深く自分を見つめなければならない。物事がうまくいっているときは、自己を省みることはなく、順調な歩みがいつまでも続くと錯覚し「自分の生き方はこれでよい」と次第に傲慢になっていく。そして気が付いたときは、誰にも相手にされなくなっている。病気や失敗したときに、ようやく自分の弱さ、人の温かさが解る。だから人間にとって苦しみ哀しみは必要なもの。わずか五ミリの深さでもそれが次第に深くなっていく。それが年齢を重ねるということ。絶望は人間的魅力を刻み込む大切な要素である。責任転換せず、自暴自棄にならず、真面目にコツコツ、そして辛抱し続ければ必ず女神が微笑む。人の一生とはそういうものだ。

『  人間って?  VOL110 』 六月のコラム 上へ

 人間は欲の塊である。すべてとはいわないが、ある面真理でもある。生まれたばかりの赤ちゃんから死の間際まで人間は自分を中心に物事を考える。欲望は留まることはない。満たされてもこれでいいということはない。それが人間をこれだけ発展させ、人間の都合のいいように地球とその資源をエネルギーにつくり変えてきた。もっと便利にもっと都合よく、今よりももっと。これが人類の歴史で、これからもこれまでのように果てしなく人間の欲望は続くだろう。欲は海水に例えられる。海水は飲んでも飲んでも喉が渇き、もっと欲しくなり、留まることを知らない。

 これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素を特性という。道徳性をもいう。学校で虐めが社会問題になって「道徳」を授業に復活させようという動きがある。この特性とは、人を愛するとか、助けるとか、尽くすとか、真面目、清潔、努力をするとか、をいう。この反対がいわゆる意地悪やいじめや怠惰、不真面目ということになる。

 人間の天敵はいない。人間の天敵は人間。そして人間以外の動植物は、自分に嫌気をさす・世の中が嫌になった、なんてことはない。本能で身を守ることや餌を捕獲するための行動は起こすが、面白くないからといって相手を傷つけたりはしない。そうやって棲み分けをしているのに、人間がドンドン入りこんで人間のいいように変えてしまう。武器を持っている人間に動物は追いやられ、森林は伐採され、本来の姿を強制的に人間の都合に合わせられたともいえる。自然が破壊され人間の支配する空間になり、場所によっては逆に砂漠化している。

 携帯電話や電気自動車など凄いを思っていたものが当たり前になり、携帯電話で風呂が沸かせる時代になった。そのうち、空飛ぶ自動車やもしかしたらペットと会話ができる機械が出来たりして。しかし殺人ロボットが開発されるに及んでは空恐ろしいばかりである。

 大局的に見れば、人口の増加、温暖化による海水の上昇など人間同士が争っている場合ではないのだが、局所的にいつも我田引水ばかりをやっている。総論賛成、極論反対。日本や中国・韓国・ロシアで領土問題を抱えているが、中東等の争うはどうして揉めるのかよく分からない。

 人間のことは人間が一番分かっていると思っているが、実は分かっていないのかも知れない。自分のことは自分が一番分かっているつもりが実は何もわかっていないのかも知れない。

『  憲法議論  VOL109 』 五月のコラム 上へ

 5月3日は憲法記念日。安倍総理が憲法改正に前向きということもあり、マスコミに憲法改正の話題が多くなった。多くの国民が憲法とは国の法律の核となるもの、国家権力を縛るもの、個人の人権を守るもの、という感覚を持っているのではないか。日本国憲法について我々日本人が語る時、国家権力を縛ることや個人の人権を保障することばかりを過度に強調する憲法論が横行し、日本の歴史や伝統といった国家の成り立ちから論じられることは殆どない。

 現行憲法の改正が何故必要か。行き着くのは制定時の問題である。戦後、それまで築き上げられてきた日本の伝統が否定され、新たな国家の形を米国から押し付けられた。その特徴が顕著に表れているのが「日本国民は」で始まる憲法前文だ。この前文はリンカーンのゲティスバーグ演説や独立宣言など、米国が歴史重視する政治文章を糊と鋏でツギハギして出来たもののと言われている。日本国家の成り立ちに関する記述がそこに一切見当たらないのはこのためだ。そこに唱えられているのは、米国が掲げる政治理想であり、それが戦争の放棄を謳った憲法九条に明文化された。

 しばしば取り上げられるこの憲法九条は、もとはと言えば連合国軍総司令官マッカーサーの命令によるものだった。本来独立国家であれば自国の憲法を他国が制定するなんてことはありえない。それも一個人の判断で文言が決まるなんてことはあってはならない。それを後生大事に60年以上も守っている国が我国なのだ。この憲法を「平和憲法」という人がいるが、」現行憲法が抱える本質的な問題は、日本人がその憲法を作って無いと言う事にある。日本は独立国家なのだから当然その憲法は日本人が作るべきだ。

 万一他国のミサイルが日本の領土に打ち込まれたら、他国から宣戦布告をされたら。戦争放棄しているのだから戦争はしません、等と言ってはいられない。自衛隊をはじめ防衛はするにしても、米国の傘があるにしても。第二次大戦後大きな世界戦争は起こっていないが、人類は争いを繰り返してきたことは歴史が物語っている。大戦でなくても東アジアの地域では戦争は起こっても不思議ではない。どの国もどの宗教も世界の平和を願い、そのために戦争をする。人類の愚かさがそこにある。いずれにせよ、先ずは他国から侵略されないよう自国の安全を整備する。その根幹が憲法だ

『  ホルミシス効果  VOL108 』 四月のコラム 上へ

 ①LNT仮設 放射線の被曝はその線量と直線的に関係しており、少しでも放射線に被曝すれば癌のリスクが発生するという仮説。
  ②放射線ホルミシス効果 高線量では有害な放射線が低線量では生物活性を刺激し、抵抗性を誘導する。低線量の被爆は老化防止等の効果があるという仮説。
  ① 85年前にマラーという博士がショウジョウバエに放射線を照射したところ、放射線量に比例して、二代目、三代目に奇形や短命などの異常がみられたという実験結果に基づいてつくられた仮設。「放射線の害は受けた放射線量に比例する」というもの。ICRP〔国際放射線防護委員会〕も認めているこの仮説は放射線の常識となっている。
  ② ミズーリ大学のトーマスDラッキー博士が、自らは実験・研究を行っていないが、一時的な低線量の放射線による生物の刺激効果を各種の論文等を整理し1982年12号の学会誌に掲載した学説。この仮説では、一時的な低線量の放射線照射は、体のさまざまな活動を活性化するとしている。
  ICRPは、「今日、ホルシミスと呼ばれるこのような影響に関する実験データーは、低線量における統計解析が困難なため、結論がでていない」「現在入手しうるホルシミスに関するデーターは、放射線防護に考慮に加えるに十分ではない」との見解を示している。
 1988年岡山大学医学部がマウスで実験したところ驚愕すべき結果が出た。
100~500ミりシーベルトを数分照射。250~500ミりシーベルトが最も顕著だったのだが、細胞膜の透過性が高まり、老化防止酵素が飛躍的に増えて若返りした、というものだった。
  1996年米国の二人の博士が連名で、85年前のマラー博士の実験は、DNA修復の出来ないショウジョウバエ精子の細胞という不適切は条件が介在する根本的に誤った実験であった、とする論文を発表。その後、米国チュビアーナ博士が毎時10ミリシーベルトまでは細胞は完全に回復し、癌にはならない、自然放射線の60万倍から600万倍あたりにDNA修復が最高になる領域があると発表している。
  因みに福島第一原発の避難地域や警戒地域は①に基づいて指定している。さて①と考えるか②と考えるか。あなたはどっち?

『  実語教  VOL107 』 三月のコラム 上へ

 実語教なるものがある。平安時代の終わりにできたといわれる。弘法大師の作という節もあるが、誰の作でどういういきさつでできたか不明。鎌倉時代に普及し、江戸時代には寺子屋の教科書としても使われた。
  福沢諭吉「学問のすすめ」の冒頭の有名な言葉、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」とあるがこれに続く言葉はあまり知られていない。これに「されども今広くこの人間界を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや」と続く。なぜ平等に産まれたはずの人間に差ができてしまうのか。諭吉はその理由を「実語教に人学ばれば智なし、智なき者は愚人なりとあり、されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとにより出きるものなり」実語教に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあるように、賢い人と愚かな人の差は学ぶか学ばないかによって決まるのだ、というわけだ。
  確かに世の中には医者・学者・弁護士・国を動かしている官僚や政治家などの難しい仕事もあれば、力仕事の簡単な仕事もある。難しい仕事には学んでいる人がつき、学んでいない人には簡単な仕事しか回ってこない、という一理がある。
  その他実語教言葉
  「富は是一生の財、身滅すれば即ち共に滅す。智は是万代の財、命終われば即ち堕って行く」(富は自分が生きている間は大切であるが、死んでしまえば自分のものではなくなる。それに対して知恵は万代までも残る。自分が死んでも子孫へと継承されるものだ)
  「倉の内の財は朽つること有り。身の内の才は朽つること無し。千両の金を積むといえども、一日の学には如かず」(倉の中の財産はなくなることがある。身につけた知恵や能力はなくなることはない。大金を積んででも、一日一日の学びには及ばない)
  善を修する者は福を蒙る。たとえば響きの音に応ずるが如し。悪を好む者は禍を招く。あたかも身に影の随うが如し。(善い行いをする人には幸福が訪れる。例えばこだまが返ってくるように。悪事を好む人は禍を招く。例えば自分の体に影がついて回るように)
  せて、あの震災からまる2年の歳月が流れた。我々人間は多くのことを学ばされた。自然の驚異、人間の無力さ、自然の有難さ、人工の脆さ・危うさ。亡き魂のためにも後世にしっかりと伝え、人間は自然の一部だということをしっかりと自覚し、自然との共生を図らねばならない。

『  アベノミクス  VOL106 』 二月のコラム 上へ

 総理大臣として再登板となった安倍首相。悲願といわれる憲法改正は 7 月の参院選まで封印し、まずは景気対策に重点を置く。デフレ脱却のために大胆な金融緩和策を行い、物価上昇率を 2 %としインフレに導くという。その政策の名を「アベノミクス」と呼ぶ。かつてレーガン大統領が掲げた経済政策「レーガノミクス」に由来する。経済成長を促す大型公共事業に加え、日銀が協力しなければ、日銀法を改正して政府の意のままにできる総裁を任命しようとしている。

 アベノミクスはお金を刷れば、価値が下がって円安になる。 1 ドル 100 円位の円安になれば輸出企業が儲かる。企業が儲かれば雇用も増える。給料も上がる。そうすると消費も活発になる。この「風が吹けば桶屋が儲かる」式の単純なサイクルがこの理論の根幹のようだ。だが、実経済はそう簡単ではない。円安で輸出企業は確かに儲かる。ところが輸入に頼る日本では円安が進むと原油が値上がりする。ガソリン、灯油、火力発電に使う液化天然ガスも値上がりする。そうすると電気料金も上がる。結果国内企業の 9 割以上を占める中小零細企業はコスト増から経営が圧迫され、給料が上がるどころではなくなる。

 こう何年もデフレが続くとこの感覚に慣れてしまい、これが当たり前になる。 100 円ショップやトライアル、しまむらやサンキ、シミズストアー、業務スーパー等々、食料品から衣料品、パソコンや日用品。ありとあらゆるものが安くなった。同じものでも価格を比較できるネットショッピングが花盛りだ。贅沢しなければ 1 ヶ月の食料費は何とかやりくりできるし、衣料もいつも買うわけではない。物価は安い方がいいし、いつの時代も庶民は節約をしてきた。

 インフレになり物価が上がっても、安いものが売れる構図は変わらない。インフレになり物価が上がったら、安いものがなくなるということはない。井戸端会議で景気が良くなってほしいというのは、給料が上がって物価は安いほうがいいという平民の矛盾した気持ち。給料が上がっても物価が上がったら相対的に生活が楽になったという実感は湧かない。そもそも給料は本当に上がるのか?上がるとしたらいつ頃なのか。給料が上がらず、物価だけ上がったのではたまったものではない。アベノミクスのケチをつける気は毛頭ないが、生活が楽になったと思えるような政策であってほしい。もちろん我々も政府に頼ってばかりいずに日頃の努力を怠ってはならない。

『 打開VOL105 』 一月のコラム 上へ

 「めでたい」かどうかは別にして又新しい年が明け、日常の生活が始まった。注目度は薄まってきたとはいえ、まだまだ福島はメディアの露出度は高い。景気対策を最重要視する安倍新内閣がどこまで震災地の復興ができるかお手並み拝見の年になる。原発で避難している人がそれぞれ各人の生活基盤を見出し、故郷とは別の場所で新たな人生を歩み出している。谷が深い分だけ山は高いというが、果たして今年が谷から山の麓くらいまでたどり着けるか。政府に期待するよりまずは、自分でできる限りのことはやらなければならない。期待すると裏切られるし、腹が立つ。はじめから期待しなければストレスも少ない。

 借り上げ住宅や仮設住宅に住んで、東電の補償金で生活している人の中には、パチンコや飲食店を飲み歩き遊惰な生活をしている人もいると聞く。やることがないが、食うに困らない生活をしているため生活習慣病を発している人もいると聞く。気持ちが萎え、気力を失ってしまうことには多少の同情はあるが、ここで甘んじていては福島の県人魂が泣く。200万人を切った県の人口をこれ以上流出させないためにも、今ここに生きている我々がしっかり根を張ることが求められている。逃げずにここに土着するのだ。

 倦まず弛まず物事に取り組んでいく姿勢こそ福島県人に求められている姿である。今年は福島県人の気骨を世に知らしめる年にしようではないか。逆境を跳ね返し、強くなろうではないか。いつまでも嘆いていても始まらない。東電や国にはやってもらうことはやってもらうにせよ、こうなったのも避けられない運命だったのだ、と割り切りが必要な時期に差し掛かったのではなかろうか。

 新たな年、新たな一歩、現状を打開するのは自分自身。自分しかいないのだ。仲間がいて集まる力は大きいが個々がいての話だ。「今年はいい年にしたい」と毎年皆が言うが、それは社交辞令に過ぎない。必ずなにかあるものだ。1年を通して平穏無事なんてことはない。どう受け止めるか各自の気持ち次第。折角これだけの試練を与えられたのだから、この試練を乗り越え逞しい福島県になる。今年はその契機の年になる。

心ならずも福島県から離れざるを得なかった人たちが戻ってくるような環境を現住人がつくりあげよう。間もなく福島は復興する。いつまでも震災弱者県に甘んじてはいられない。今年はその足がかりの年になる。



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