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コラム2021

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【2021年コラム】

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『 どうなる五輪・パラ VOL206』 6月のコラム上へ

 東京や大阪など複数の都道府県に発令されている3回目の緊急事態宣言が6月20日まで延長された。酒類やカラオケを提供する飲食店には休業や20時までの時短営業の要請が出されている。福島県でも独自で非情事態宣言が出されていたが5月末で解除となった。宣言の効果もあり感染者数は減少傾向だ。医療関係や高齢者を優先的にワクチン接種が進んでいるが、全国民に行き渡るのは秋以降とのこと。

 このような中、話題になるのが開催まで2ヶ月を切った東京五輪・パラリンピック。中止にした方がよいと半数以上の国民のアンケート調査があるものの政府とすれば安心、安全を担保して開催の意向を取り続けている。先のことを人間の能力では見通すことは不可能だが、開催しても中止にしても判断が迫っている当事者には頭が痛いことだろう。コロナ対策でも一杯なのに五輪パラが追い打ちをかけている。国の舵をとる首相の気持ちを慮ると居た堪れない気持ちにもなる。他人の大変さは分かっていても自分にとっては直接の影響がないと安堵している自分がいる。

 マスコミなどで飲食店の非情さを映して出しているが、備えはなかったのかと思う。人生も世の中の動きも山あれば谷あり。飲食店は今は谷だろうが、ここを乗り越えれば山に向かう。そう信じて今はジッと我慢の時だ。あの時は大変だったと思える日が必ずくる筈。節制や節約をして、生活を見直さざるを得ない状況下である。我が国だけに限らずこのコロナは人類の生き方の見直しを迫っているともいえる。状況を変えられないのなら、この状況に合わせるしかない。人間の自然の一部で人力では測りしれない自然の大いなる意向がある。それに抗うことはできない。過去を踏まえ将来を予測することはある程度できるだろうが、すべてを見越すことなどできない。

 東京五輪・パラリンピックがどうなるかこの6月で決まる。その立場立場で見る角度が違うのだから、どっちに転んでも痛みは伴う。少なくとも総意の多い方になることが望ましい。一部の団体や個人の利に帰するようなことが当然ながらあってはならない。切り札のワクチン接種が予定通りもしくは予定より早く進めば光が見えてくる。日本だけではなく各国で接種が滞りなく進めば、大手を振って開催できるのだが、、、人間の思惑通りに事が運ぶかどうか。間もなく結論が出る。


『 娑婆 VOL205』 5月のコラム上へ

 「娑婆」というのは仏教語である。梵語(ぼんご)の「サーハー」の音から日本ではシャバとなった。「娑婆の空気はうまい」などというが本来の仏教語としては間違いである。サーハーは「忍耐」を意味する。極楽世界や浄瑠璃世界と違い、娑婆世界は汚辱と苦しみに満ちた穢土であるとされる。この娑婆世界がなぜ「娑婆の空気はうまい」と言われるのか。第一の意味は「苦しみが多く、忍耐すべき世界、人間が現実に住んでいるこの世界」。そしてもう一つ。「自由を束縛されている軍隊・牢獄・遊郭などに対して、外の自由な世界、俗世間」という意味。長らく束縛されたところから解放されると「娑婆の空気はうまい」という表現になるのだろう。

「娑婆」の本来の意味は忍耐。老若男女問わず、この世で生きるということはお互いに「耐え忍ぶ」この世が娑婆。この世に生きることは、苦しみに耐えることに他ならない。お釈迦様が説く「四苦八苦」。「四苦」とは生老病死。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ。更に、愛する人との別れる苦、嫌いな人と会わなければならない苦、欲求が満たされない苦、心身が思うようにならない苦。この4苦を足して8苦。何ともネガティブな話で夢も希望も何も感じられないが、これが現実。

 一切は苦であり、無常の風は如何ともし難いという事実を踏まえ、その中でどう生きるのか。まずは人として正しい道理を知ること。いつ何が起こるか分からないと認識すること。次に執着心をなくすこと。執着しているうちは無常の風にあっさり吹き飛ばされる。そして精進努力。四苦八苦の世とはいえ、自暴自棄になってはいけない。精進努力によって生きる光が灯る。快楽に溺れたり、過去の思い出に耽っても問題の解決にはつながらない。

 平成の時代だけでも、普賢岳の噴火、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。令和になっても、台風や地震、そしてこの目に見えないコロナウイルスとの対峙。自然災害に限らず、人生において思わぬ事件や事故に巻き込まれたり、屈辱を受けたり、自分の思うとおりにならないことが山とある。その事象時にどのように対処するか、その人の人格が問われる。人のせいにせず、自暴自棄にならず、今自分が置かれているポジションでやるべきことをやる。決して逃げてはいけない。そうすれば、四苦八苦を受け入れることができる心境に至り、娑婆の空気もうまいと感じることができるようになるだろう。


『 食を節する VOL204』 4月のコラム上へ

 水野南北(みずのなんぼく)宝暦10年(1760)~天保5年(1834)、江戸時代中期の観相学者の「幸運を招く法」、節食開運説の要点が次の10項目。

 1:食事の量が少ない者は人相が不吉でも、それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉となる。2:食事が常に適量を超えている者は、人相が吉相でも調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えず、晩年は凶となる。3:常に大食、暴食の者は、たとえ人相がよくても運勢は一定しない。もしその人が貧しければますます困窮し、財産家でも家を傾ける。大食、暴食して人相が凶であれば、死後に入るべき棺もないほど落ちぶれる。4:常に身の程以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉でも運勢は凶になる。美食を慎まなければ家を没落させ、出世もおぼつかない。まして貧しくて美食をする者は働いても働いても楽にならず、一生苦労する。5:常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相でもいずれは財をなし、長寿を得、晩年は楽になる。6:食事時間が不規則な者は、吉相でも凶となる。7:小食の者には死病の苦しみがなく、長患いもしない。8:怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者は成功しない。成功、発展しようと思うならば、自分が望むところの一業を極め、毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変えるように努めよ。さすれば自然に成功するだろう。9:人格は飲食の慎みによって決まる。10:酒肉を多く飲酒し太っている者は、生涯出世栄達はない。

 水野南北は大阪で生まれ、幼くして両親を亡くし叔父夫婦に育てられた。酒と博打と喧嘩に明け暮れ無頼の徒になる。刃傷沙汰を繰り返し、悪事をはたらき入牢。牢内で人相と人の運命に相関関係があることに気づく。出牢後、人相見から死相が出ていると言われ、運命転換のため慈雲山瑞龍寺に出家を願い出る。そこで「1年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」と言われ、言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりか、運勢が改善した。こうした体験から益々観相学に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究をして観相学の奥議を究め南北相法を完成。節食が運勢を改善すると唱えた。さらに神仏に「ありがとうございます」と念じ、節食の実践と常に感謝の気持ちを持てば、運はさらに開け強運となると説いた。

 コロナ禍で自宅での飲食が多くなっているが、やはり腹八分目がよいということだ。


『 泥棒と悪口 VOL203』 3月のコラム上へ

 作家の三浦綾子氏がある本で語っていた。

 「泥棒と悪口を言うのとどちらが悪いか」教会の牧師は悪口の方が罪が深い言った。大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害でもない限り、いつかは忘れる。少しは傷つくかもしれないが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年の話は時折聞く。「うちのおばあさんたら、食いしん坊で、あんな年をして三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切食事を拒否して死んだ、という話がある。知的障がい児の三割は妊婦が三ヶ月以内に強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと聞いたことがある。ある妻は小姑に夫の独身時代の素行を聞き、さらに現在愛人のいることを知らされた。それは幸せ一杯の兄嫁への嫉妬から出た言葉だった。この小姑の話に、ちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、生まれた子どもは知的障がいだった。

 私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を知的障がい児にする力がある。泥棒のような単純な罪とは違う。それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いている。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性だ。もし自分が悪口を言われたら夜も眠れなくなるくらい、怒ったり、悔しがったり、泣いたりするくせに。自分は陰口を言った人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなるのではなかろうか。

 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはず。それなのにそれほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。私たちは自分を罪人だとは思っていない。罪深いなどと考えたりしない。「私は、人さまに後ろ指指されることはしていません」多くの人はそう思っている。それは私たちは常に二つの尺度を持っているから。「人のすることは悪い」「自分のすることはそう悪くはない」自分の過失を咎める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とは全く違う。

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 新型コロナウイルスの脅威はまだまだ続いている。各自気をつけていても感染者がでることは避けられない。感染した人に対して中傷や嫌がらせをする人と自分のことを棚に上げて悪口を言っている人はどこか似ているような気がする。


『 無信不立 VOL202』 2月のコラム上へ

 論語:無信不立(信なくんば立たず)弟子の子貢(しこう)と孔子の問答。
子貢:政治の要諦は何でしょうか。孔子:食を足し、兵を足し、民これを信ず。第一に人々が食に困らないようにすること、第二に軍備を整え安心して生活できるようにすること、第三に信頼を得ること。子貢:その三つのうち、止むを得ずして一つを除くとしたら、どれを除きますか。孔子:兵を去れ。子貢:残りの食と信頼を保持できないとしたらどちらを除きますか。孔子:食を除く。人は死を免れない。信がなければ立たないではないか。

 このコロナ禍で生活に苦しんでいる人々が増える中、こういう時こそ「信を立て」互いに支え合っていきたい。ワクチンの目途がついたことでもう少しで光が見えるところまできた。変異ウィルスも気掛かりだが、何とか乗り越えることができそうな、全容がみえてきたような気がする。まだまだ気は抜けない状況が続くが、もう少しの我慢と思えるところまできたのではないか。「信」は人との交流によって生まれる。この閉塞感から解放され、顔を合わせて会食できる日はそう遠くはない。


『 何かできる事は VOL201』 1月のコラム上へ

 2021年になった。令和も3年目。去年とは全く異なるお正月。不要不急の外出自粛、ステイホーム。家にいてなるべく人と会わないように。それでも東京は感染者が千人超えで、列島各地もその数を更新している。ここ福島でも連日感染者が出ており、クラスターが発生。東京を囲む4都県では緊急事態宣言が発令される。他にも大事なニュースが沢山ある中で、コロナはいつもトップだ。各メディアが医療崩壊、飲食店は死活問題、コロナ解雇等色んな角度から映像や音声でイマを報道している。

 政府の対応が後手に回っているとの批判や中傷ともいえる過度なSNSでの投稿。日本人ってこのような民族だったんだろうか?もちろん一部の大きな声人が目立つから、そう見えるのだろうけれども。声には出さないが、なんとかしてこの難局を乗り越えよう、そのために自分が何ができるか、できることがあれば率先して手を差し伸べようとしている人の方が圧倒的に多い筈だ。昨年医療関係者に簡易にビニール袋で作れる防護服を仲間でつくり、送り届けた知人がいた。たまたまSNSで防護服の不足を知り、作り方も掲示してあったので、即行動に移した。提供を呼びかけた病院は数日の内に何万枚もの提供があり、充足したとのこと。

 メディアは現状の窮状を伝えることはもちろん、手を差し伸べようとしている人に届くように、困っている人が何に困っているか、何を手伝ってほしいか、どうしてほしいかをもっと訴えてもいいのではないか。お互い様の精神は日本人の根底にまだまだしっかり根付いている。どうしたらいいのか困っているというのではなく、この状況を打破するために、このような手助けをして欲しいという声を聞きたい、そしてこれに応えたいという人は大勢いる。

 大枠は政府や首長に任せ、身近なことで自分にできることはしてあげたいと思っている人への呼びかけをメディアには是非して欲しい。声を拾ってもらえば必ず届く。密を避け、マスクや消毒は当たり前にやってそれでも感染者が減らない。いつ誰が感染するか分からないリスクが常に付きまとう。それでも時計は回る。間もなくワクチンが出回るだろう。まずはそれまではお互い様の気持ちで、誰かの困ったを、一人の困ったを何人かで分け合い少しでも薄めることができたらいい。2021年はみんなで助け合うという日本人の低力が試される。今年の年末は試練が続いているのか、コロナ前の日常が取り戻せているのか。激動の1年が始まる。


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