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コラム2022

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【2022年コラム】

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『 人間って VOL217』 5月のコラム上へ

人間を長くやっていると人間ってなんなんだろうと思う時がある。あの時のあの人の言葉はこういうことだったんだとか、あの本に書いてあることはこういうことだったんだとか。それまでは何とも思わないことや見過ごしていたことに心が動いたり奪われたり。あの時ああしておけば今頃はどうなっていたんだろうとか。突然に脳裏に浮かんでくることがある。よく相当の年配の人がそろそろお迎えに来てほしいというが、その歳にならなければ分からないことが多くある。今の心境であと20年若かったら全く違う人生が歩めたにと思ったりもする。

その時々で目前のやるべきことや、やらざるを得ないことに精一杯で、後先のことなど考えず、感情に任せて走ってしまう年齢と歳を重ねたがやることが少なくなった年齢の心の持ちようを比較しても、なんともやるせなく切なくもあるが、精神的な成長と身体の成長は一致しないもどかしさがある。外見の体が一丁前の大人になってもまるっきり心は幼い春の時代に、人生の終焉が近い冬の心境を持ち込むことができたなら、世の中の争いごとがずっと少なくなると思うのだが、神様は体の成長と気持ちの成長にタイムラグをつけた。

あとになって走馬灯のように思いが蘇がり、別の道があったのではないかと思ってみても戻ることはできない。戻ることはできないなら瘦せ我慢でも今のこの道で良かったと思う方が前向きに生きられる。いつどこで誰とどうなるかは見えない人生。今日と明日は全く違っているかもしれない人生。歳が若いほど変化に順応できるが、歳を重ねた人ほど変化に追いつけない。精神的な成長と反比例して体力や能力や五感の衰えはいかんともしがたい。

年配者の心身の衰えを年少者がカバーして、年少者の精神の至らなさを年配者がカバーできる社会が究極の平和な世界。おそらく神様はそれを見越して人間を赤ちゃんから老齢者まで創造したのではないか。生けとし生ける者の中で人間だけが他の動植物と違いことばを持っている。ことばは理性を生み本能を抑制する。互いにことばによって意思疎通を図り人間社会はここまで進化できたともいえる。

人間が宇宙に行ける時代。世の権力者達が宇宙から地球を見て争いの愚かさを身に染みて感じることができたらいいのに。人間ってなんなんだろう。


『 第三次世界大戦 VOL216』 4月のコラム上へ

ロシアのウクライナ侵攻から1ケ月半が過ぎた。毎日戦場の様子がテレビで映し出される状況を見ていると何とも心が痛む。歴史は繰り返すというが、第三次世界大戦の可能性はゼロではない。万一、世界を巻き込んでの戦争になると核爆弾が使われることは必至。相手が降伏するまで死ぬか生きるかの戦になる。国連やら国際法なんてものは弱肉強食の世界では何の役にも歯止めにもならない。強い者が勝者となる。軍事力で勝る国が世界を制する。人道的な情けや思いやりなどは吹き飛ばされ、地球上のあちこちが修羅場と化す。人のことなど構っていられず各国が自国の攻守で手一杯となる。

核爆弾の応酬になると地球は壊滅。人類の生存に関わる。人類滅亡も絵空事ではなくなる。自国の欲望を満たすために人類が滅亡するとは本末転倒も甚だしいが独裁者が狂人となれば何でもアリ。相手の脅威抑制のための核が抑制の域を超え、殺人爆弾となり地球の各地に投下される悪夢は誰も見たいとは思いはしない。一部の独裁者を除いては。アメリカがどこまで首を突っ込むかにより状況が大きく変わる。ウクライナの譲歩で停戦が実現されればいいが、今のところその見通しは立っていない。

これまでのもベトナム戦争や中東などでの紛争で米ロの対立はあったが、これまでと違い今回は日本も静観していられないだろう。なにせ世界が狭くなり、輸入・輸出・エネルギー・農産物をはじめ影響は小さくない。ロシアへの経済制裁もさることながら、ウクライナが国として機能しない影響も小さくはない。ロシアにはロシアの言い分があるようで、西側諸国とのイデオロギーの偏差は埋めようがない状況だ。プーチン大統領は周到に用意して今回の侵攻を決行した。思惑通り短期間で終わらせるとはいかなかったと報道されてはいるが、始めたからには当初の思いを完遂するまで続けるようだ。

こうなると一体人間というのはなんなんだろうと思う。同じ人間としてこの世に生を受け、この地球上で暮らしているのにどうして相手を殺戮してまで自分の思いを貫き通すのか。それがロシアという国を守る為に絶対必要なことなのか。戦場がNATOの地域まで拡大するとなれば、間違いなく日本も安穏としてはいられない。軍隊を持たない日本はひとたまりもなくねじ伏せられる。大東亜戦争から米国の傘に守られてきたこの国は第三国の属国になることも十分あり得る。人類の滅亡、生き残るは誰か。なんてことにならないことを祈るが、、、


『 才 VOL215』 3月のコラム上へ

人はそれぞれ何かしらの才を持ってこの世に生まれてくる。皮肉なことに己の才が何かということに気づく者の何と少ないことか。たとえ気づいたとしてもそれを活かさぬまま一生を終える者が大半である。生まれ落ちた環境によって初めから決められた道もあるだろう。自分には出来ない、無理だと思っていたことがやってみたら簡単にできてしまうこともあるだろう。大衆の中で、他の人との比較で、注目はされたいがあまり出しゃばりたくもないと心境が働くことあるだろう。出る杭は打たれる例えのように。

アスリート達のように勝負の世界は分かりやすい。北京五輪が終わったばかりだが、一生懸命に練習し、努力し、常人よりも心身共に鍛え上げてあの場に立っている者たちに順位と優劣がつく。あの場に立ちたくても立てない者も数知れずいる。誰がどのような順序で誰にどのような才を与えるのか。そして気づかせるのか。何が違うのか。どこが違うのか。その違いは才なのか。努力なのか。努力できる人には努力できるという才があり、努力できない人はその才がないのか。努力しなくてもその才を発揮している人もいるのではないか。生きている限り少なからず努力は皆している筈。それを努力と認識しているかどうかの違いかも知れないが、いずれにせよ才という観点みれば?なのである。

士農工商等の身分の違いで才が閉じ込められる時代ではないとはいえ、これだけ人類の色々な分野が発展しても自分の才が何かを見つけることは困難。今いる環境が我才だと思えればそれは幸福。なにせ我の才はどういうものかなどに思いを巡らす人はほんの一握りなのだから。今の仕事が天職だと思える人は才に気づいた人。そしてその才を活かそうとしている人に他ならない。どのような環境で生まれ落ちても必ず何かのきっかけやヒントで「あなたの才はこれだ」という天の声がある。それを聞き取れるかどうか。不平不満を言っているうちは、天声を聴く耳を塞いでいる状態。

場面は違っても人間としてこの世に生を受けた時は同じスタートライン。天に召される時にどれ程の差が付いているのか。その差とは何か。人は生きてきたように死んでいく。その生き様が後世に現れる。現れるのは後世だが、才は生きているに表に出さねばならない。我才能とは何か、心静かにを問うてみることは大事。問えば答えは天から降ってくる。間違いなく降りてくる。才に気づき役割を全う出来れば思い残すことはない人生が送ることができる。


『 顔 VOL214』 2月のコラム上へ

重厚な人が少なくなった気がする。本当に少なくなったのか、今のような世では表に出てこないのか。軽薄な言動の人物に躍らせれている気がする。庶民は目先の安易さを求め、それに応える人物が支持され人気を集める。当然の結果としてその組織も浮ついた組織になる。マツリゴトだけではなく、組織の長となりたがる人物は概して人の目を気にして、人気取りに気を遣い、いかにも自分が上に立つに相応しい人物だと勘違いしている。組織をまとめるに相応しい人物はよほどではない限り手を挙げないから隠居者のように心穏やかに余生を過ごす。

まぁ民主主義は選ばれた人によって成り立つのだが、その弊害は目を瞑るしかない。それにしても一旦地位に就いた人物がその権限に固執する見苦しさはなんとも悲しい。任期が満了して当然の如く前のポジションに就けると思っていたのが、支持を得られずその役職を失うことはよくある。その時に人物の本性が現れる。潔く退任する人は少ない。恥も外聞もなく嫉妬や怨みや猜疑心の塊を表に出す。進退は難しいものだが、人物が出来ていないとその魂が顔に現れ卑しい面相になる。顔は人というが、歳を重ねるとよ~く出てくるようだ。

新型コロナウイルス感染者が信じられないほどの速さで増えている。オミクロン株なる新たな株がそれだ。8万人を超え10万人も現実味を帯びてきた。ついに福島県も全県でまん延防止法の適用となった。更にオミクロン株の変異株も出てきている。重症になるリスクはデルタ株に比べると少ないというが、感染力が凄い。3回目のワクチン接種も前倒しで行われているが、今だ収束に向かう光は見えてこない。昨年末の状況を考えるとこのような第六波がくるとは思いもよらなかった。尤も専門家は必ず第六波はくると言っていたのだから、図らずも言った通りになったということだ。

こういう時こそあの人の言うことなら仕方ないから従おうという重厚な人物がいてくれたらと思う。生活困窮者に資金援助や事業者には支援金や一時金を支給し、その場凌ぎの政策を打ち出し、権威支持を維持しようとしている。それはそれとして救済措置で助かる人も多い。当面の目先の措置としてやらざるを得まい。近視的な施策にはその先を見据えて行うことを忘れてはならない。組織人にしても同じこと。シガラミに捉われずこの人はと思う人はどこかにいる筈だが、はてさてどこにいるのだろう。そういう人の顔を拝んでみたい。


『 協調と競争 VOL213』 1月のコラム上へ

新型コロナウイルス感染報道から丸2年。2年前の正月はオリンピックイヤーで盛り上がる年だと思って気持ちの高揚が少なからずあったが、大どんでん返し、1年遅れで昨年開催された。今年の大きなスポーツイベントは北京で行われる冬季五輪。そしてサッカーワールドカップのカタール大会。オミクロンなる新たな変異株の出現でどうなるかの危うさもあるが、我々には直接の関係がないだけに外野の視点で酒の席で話題に乗るくらいか。

SDGsが浸透してきて、地球温暖化防止の対策がステータスとなり企業も個人も積極的な取り組みがされている。買い物時のエコバッグやペットボトルの再生利用など今年は更に勢いを増すだろう。車もあと10年もすればEV車が主流になるかも。空飛ぶ車も現実味を帯びてきた。そして宇宙旅行や月での散歩も夢ではなくなった。ついこの間IT革命とか言っていたのが、今はAI(人口知能)にとって代わり、家に帰ればお風呂が沸いている、なんてことは間もなくどこの家庭でも当たり前になる。こういう風にこれからは素晴らしい世の中になる。そして今年は益々その機運が加速するだろう。コロナだって目先の今はまだまだ気は抜けないが、そろそろワクチンの複数回の接種や飲み薬が承認されれば落ち着くだろう。めでたし、めでたし。

ところがである。こうなればこうなったで人類の欲望は留まることを知らないから、善い方向ばかりに進むとは限らないのが世の中。どんどん生活は便利になるのだが、それを享受できるのはほんの一握り。いわば経済的に余裕のある層。庶民には夢物語。一部の国や地域では今も紛争が起きている。人は助け合いながら他方では争う。国でも町内会でも規模が違うだけで中身は同じ。求め合いながら奪い合う。支え合うこともあれば突き放すこともする。豊な国と思われている日本が実は引きこもりやうつ病などの心の病を抱えている人が多く、幸福感が少ないのはなぜ?人種や宗教や政治によって人々の向いている方向が違う。

もう気が付いてもいいのではないか。同じ人間として相手とどう向き合うことが幸福なのか。同じ過ちを犯してはならないと歴史は教えてくれている。それなのに繰り返す。いくら宇宙に旅行ができようが、車が空を飛ぼうが、人類は同じ過ちを犯す。生活が便利になったからといっても人間の本筋は変わらず、矛盾を抱えている。何事にも始まりがあれば終わりがある。それを分かっていながら延々と繰り返す。協調しながら競争する。その中で自分の立ち位置を確認しながら時には見失いながら、それぞれの歳を重ねていく。


 

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