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コラム 2018

【2018年コラム】
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『元号 VOL.177』 1月のコラム上へ

2019年、平成31年の幕が開いた。平成が4月で終わり、5月から新たな元号に変わる。

さてその元号について:元号の根拠となっているのは1979年に制定された元号法だが、これはたったの2項から成り立っており、具体的な制定手続きも、元号が満たす条件のようなものも規定にはない。

<元号法>第1項:元号は、政令で定める。第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元の制)。

元号の歴史(雄山館)によると、元号の選定条件は①国民の理想としてふさわしいような、よい意味を持つものであること。②漢字2文字であること。③書きやすいこと。④読みやすいこと。⑤これまでに元号または送り仮名として用いられてたものでないこと。⑥俗用されているものでないこと。

元号が変わったからといって、身近な日常が変わることはないが、この1年というスパンで考えると、昨年の今と今年の今では確かに変化している。誰もが実感していることだろうが、変化の激しい時代に生きている感は否めない。IT革命といわれた時代は過去になり、AIがどこまで進化し、日常生活に取り込まれるか、という時代だ。車の自動運転ももうすぐそこだし、スマホでお風呂を沸かしたり、エアコンをオンにする時代。アニメの中の空飛ぶ自動車も夢ではなくなった。

今年の大学箱根駅伝。5連覇が固いとされた本命の青山学院大学が2位に沈み、初優勝を飾ったのは東海大学。それもこれまでの記録を大幅に短縮する記録で制した。今回のランナー230人のうち95人が履いていたシューズが、ナイキの「ナイキズームヴェイパーフライ4%フライユニット」。昨年9月に発売された。このシューズを履いたエリウド・キプチョゲ選手が発売月の9月にベルリンマラソンで世界新記録。10月のシカゴマラソンでは大迫傑選手が日本新記録。ランニングシューズの世界も日進月歩。つまりどの分野でも、どんどん変化しているということ、もちろん変わらないものがあっていいし、変わってほしくないものを残すことも大事。いくらAIといっても人の心のようにはならないだろう、と思うのだが……。

 またひとつ歳を重ねるということになるが、元号が変わると、益々昭和は遠くになりにけり、か。

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『時節因縁(じせついんねん) VOL.178』 2月のコラム上へ

仏典の言葉の中に「仏性の義を知らんと欲せば、まさに時節因縁を観ずべし」

とある。時節因縁とは「その時々によき出会いがある」ということ。人間の出会いとは不思議なもの。否、人間同士に限らず、動物・自然・絵画でも音楽でも、ハタマタ食べ物や住宅でも。琴線に触れる瞬間の出会いはあるものだ。人生は深い縁(えにし)の、不思議な出会いの繰り返しともいえる。生まれた時の両親の出会い(親からみれば我が子との出会い)から始まり、自分の意志で出会ったり、意志とは関係なくたまたまそこにいたということで出会ったり。

幼少の頃はすべて自分中心。それが病気をしたり、怪我をしたり、痛い思いをして、また言葉や行動で傷ついたり、傷つけたりして、歳を長ずるに従い、段々と多くの人に助けてもらっていることに気づく。自分の存在がどういうことかを考えるようになる。相手との距離感を近すぎず、遠すぎず、意識をしながら身につけていく。

一度縁で繋がったとしても一生続くことはその内の何人か。親子でも縁を切ることが現実にあるように、意外と続かないもの。歳が多ければ知り合いも多くなる。知り合いが多いというのと、縁が続くというのは少し意味合いが違うだろう。感覚としては5年前に仕事関係者や〇〇会で知り合った人達が今現在でも付き合っているかというとほとんどが入れ替わっている。ざっくりとだが、1年ごとに20%ずつ入れ替わっている。5年の歳月はワンサイクルなのではないか。もちろん「血は水よりも濃い」ので親戚・兄弟とは縁は切れないが、それでも以前よりは疎遠になっている。遠い親戚より近くの他人というが、まさしく現在いる場所の近くにいる人との繋がりが強くなることは必然だろう。

疎遠になってしまった人達の中には、あの人には会いたくないという人もいる。ところが、人間は時間とともに心境の変化を伴うものだ。あんなに嫌いと思っていた人の気持ちが、何かの拍子で又はその人に立場に立ってみたら、理解できた、その時は分からないが、後で分かるということが往々にしてある。そして相手に詫びたいと思うころには相手がこの世にいないというこも常。親孝行したい時には親なし、ということか。

 出会いに偶然はなく、すべて必然。人は会うべくして会っている。

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『引き際 VOL.179』 3月のコラム上へ

 人生100年時代。これまでのように「定年後は余生」というライフプランが崩れ、どう生きるかが問われる時代になった。

少子高齢化社会が声高に言われるようになって久しい。新聞の広告欄には高齢者向けのサプリメントや健康器具、さらにはどう相続するかとか医者選びまで、若者向けよりも圧倒的に多くの情報が溢れている。高齢者が大きなマーケットになっていることは間違いない。いつまでも元気で暮らしたいのは誰でも望むところだが、永遠の命を持つ人は存在しない。

何事にも引き際がある。誰でもある程度の年齢になると人生の引き際を否応なくヒシヒシと感じる。体が思うように効かなくなったり、物事がなかなか思い出せなかったりとそれ相応にガタがくる。

現在、容疑者として渦中にある日産自動車のカルロス・ゴーン前会長。経営難に陥っていた日産の立て直しに関与したのは1999年。大胆なリストラ等で大ナタを振るい2000年半ばにはV字回復を実現。その手腕は多方面から賞賛され、本の出版や講演等一躍脚光を浴び、メディアにも多く出演し、その顔は誰でも知っていて知名度も抜群。カリスマ経営者として名実ともに名声を馳せ、ルノー・三菱との自動車メーカーの統合も実現させた。トップ在任期間は2018年でちょうど20年。まさか身内から訴えられるとは思いもしなかったことだろう。

経営者、特にカリスマと呼ばれる経営者ほど引き際が難しい。過去にもカリスマ経営者たちが、引き際を誤り、突如取締役会で解任に追い込まれるケースが多々あった。権力の座に長く居続けると、人は知らず知らずの内に変貌してしまうものらしい。周囲が警戒を始めるのは、彼らが会社を私物化しようとするとき。その原因はカネや女や後継者の主導権争いといった場合が多い。

オーナー経営者は長期政権が基本だが、財閥系企業のサラリーマン経営者の場合などは社長、会長を歴任すれば、その在任期間は通常10年を超える。むろん「中興の祖」と言われるように創業者に次ぐような素晴らしい人も少なくない。企業の存続、継続を考えるとき、次の時代を担う後継者を育てることも経営者としての大きな役割といえる。

 カルロス・ゴーン容疑者を反面教師として学ぶべきところは多い。自分で決めることができる引き際を見誤らないように。そして人生の引き際は……。

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『グレゴリオ暦 VOL.180』 4月のコラム上へ

 グレゴリオ暦という暦をご存知だろうか?今でいう西暦のことである。欧州では以前、ユリウス暦という暦が使われていた。このユリウス暦は地球の公転を365.25日としたもので、実際の公転である365.2422日との差の補正を行わず、4で割り切れる年を必ず閏年としていた。そのため誤差がどんどん累積してしまい、誤差の分を修正するために、ユリウス暦の1582年10月5日をグレゴリオ暦の10月15日とし、現在に至っている。

日本では1872年から採用され、旧暦の明治5年(1872)12月2日の翌日つまり明治5年12月3日をグレゴリオ暦(西暦)1873年1月1日とした。この時に西暦と元号の月日は統一されたので、例えば明治5年12月3日に生まれた人は1873年1月1日に生まれになるのだから、明治6年1月1日生まれということになる。よって明治5年12月3日から12月31日生まれの人はいないということだ。よく歴史上の人物の生年月日が元号で表示されるがこのタイム差ならぬ日差を考慮しないと何故?という疑問も出てくる場合がある。

ユリウス暦はローマの最高神祗官、独裁者、執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施されたといわれる。キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。

グレゴリオ暦はローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じて、新たな暦として用いられた。グレゴリオ暦は現在観測で求められる平均太陽年と比べて26.821秒長いだけであり、16世紀後半にこれほど精度の高い計算がされていたことは驚きというほかない。ただ、不思議なことに今でもグレゴリオ暦を採用せずにユリウス暦を使用している教会、地域が存在している。

色々な書類や領収証やカードは西暦で表示されることが多くなったが、いよいよ我日本の次なる元号が令和に決まった。昭和は天皇陛下が崩御されて平成の元号となったが、今回は陛下の存命中ということなので、国民意識として素直にお祝いできる雰囲気である。平成が耳に馴染んでいる身としては令和に馴染むまでどれ程の時間を要するのだろうか?案外この1ケ月で切り替えできるのかもしれない。31年という1時代を駆け抜けた平成。世界では戦争や紛争が絶えなかったが、幸いなるかな日本はそういうことはなかった。平和といえば平和な31年だった。但し、平和と幸福とは違うということも痛感させられてもいる。新たな元号令和で平和で幸福感が得られる世になることを切に願う。

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『老婆の手紙 VOL.181』 5月のコラム上へ

 1778年1月4日(安永6年12月6日)山形県米沢西郊の遠山村(米沢市遠山町)のヒデヨという老婆が、嫁ぎ先の娘に宛てた手紙。

一フデ 申シアゲマイラセ候 アレカラ オトサタナク候アイダ

タッシャデ カセキオルノモト オモイオリ候

オラエモ タッシャデオル アンシン ナサレタク候

アキエネノ ザンギリボシ シマイ ユーダチガ キソウデ

キヲ モンデイタラ 二タリノ オサムライ トリカカツテ オテツダイ ウケテ カエリニ カリアゲモチ アゲモウス ドコへ オトドケスルカト

キイタラ オカミヤシキ キタノゴモン カラ イウテ オクトノコト

ソレデ フクデモチ 三十三マルメテ モツテユキ候トコロ

オサムライドコロカ オトノサマデ アッタノデ コシガヌケルバカリデ

タマゲハテ申シ候 ソシテ ゴホウビニ ギン五マイヲ イタタキ候

ソレデ カナイヂウト マゴコノコラズニ タビ クレヤリ候

オマイノコ マツノ ニモ ヤルカラ オトノサマヨリ ハイヨーモノト

シテ ダイジニ ハカセラレルベク候

ソシテ マメニ ソタテラレルベク クレグレモ ネガイアゲ候

十二かつ六か  トウベイ ヒデヨ    おかのどの

ナオ 申シアケ候 マツノ アシニ アワヌトキワ ダイジニ シマイ

オカルベク候 イサイ ショガツニ オイデノトキ ハナスベク候

ある日、干した稲束の取入れ作業中に夕立ちが降りそうなので、手が足りず困っていたが、通りかかった武士2人が手伝ってくれた。お礼として刈り上げ餅を配るのが慣例であったので、餅を持ってお礼に伺いたいと武士達に言ったところ、お屋敷の北門から入ってくれ、門番に話を通しておくからと言われた。お礼の福田餅を33個持って伺ってみると、通された先にいたのは藩主上杉治憲(鷹山)であった。お侍どころかお殿様であったので、腰が抜けるばかりにたまげた。褒美に銀5枚まで頂いた。その御恩を忘れず記念とするために、家族や孫たちに足袋を贈ることにした。

上杉鷹山の善政を示すこの手紙は現在、米沢市宮坂考古館に所蔵、展示されている。ほぼ片仮名で書かれ、当時の識字率、書法の一例としても興味深い。令和の世になってこのような為政者が現れるといいのだが……。

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『胆力 VOL.182』 6月のコラム上へ

 胆力 肝が据わった人。事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力のこと。小さなことでも見逃さずしっかりと対応し続けると気力が満ちてきて、多少のことでは動じないようになる。それが身につくと胆力が付く。

人生長く生きていれば、それなりの経験を積む。体のメンテナンスと同時に心のメンテナンスを無理しない程度に継続しようと心掛ける人は多い。いい歳をしてストレスでイラつきたくはない。小さなことに気を遣いながらも、何とかなるさという、緩やかさも持ち合わせる寛容さも必要。いくつになっても沢山学ぶことはあるが、すべてが栄養素になるとは限らない。取捨選択して、頭に残さなくてもいいものは、気持ちに波が立たないうちにサラリと流す。そういうことも胆力を身につけるひとつといえる。

寛容さを失った現代人は、ギスギスとした人間関係で苦悩し、自分を追い詰め、周りの人達に迷惑をかけるほど巻き込んでしまう。これだけ文明が発達しても、人の心の様は変わらないのかもしれない。心の強弱は表に見えない。生きることはただそれだけでも相当のエネルギーを要す。気力を養い充実させることが求められるが、自力で切り開く力がなくても生きていける世の中になってしまったようだ。

長寿社会の日本は便利さと引き換えに多くのモノを失っているのではなかろうか。便利さを甘受しながら、時には不便を選択する不器用さも持ち合わせたい。自分の思った通りに行かないことが多い世の中。嫌なことや苦しいことや不便を選ぶと幸せが転がることも多い。若い時はガツガツした生き方もいいだろうが、加齢により次第に緩い生き方がいい。若い時はぶつかり合うこともあるが、老齢になれば許すことも大事。生活に追われ、パンの為に働かなければならない時期を乗り越えた後の人生の後半は心に暖層を持っていたい。それには、少しの勇気と暮らせるお金とボケない頭と楽しい仲間と愛する家族と健やかな体、そして動じない胆力。これらがあれば人生バン万歳だ。果たして、これらを満たせる人が何人いるだろうか。

 我人生に幸あったと完結できればいうことナシだが、まだまだ我欲が吹っ切れず、失敗を繰り返し、反発し、同じ過ちを犯す。もっともっと大馬鹿になれればいいと思うのだが……。

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『生前贈与 VOL.183』 7月のコラム上へ

①生前贈与メリット

1相続税の節税

・事前に財産を減らすことによって節税できる

2事前の資産継承

・誰に財産を譲るのか自分の意志できることができる

・遺言書よりも確実に資産継承ができる

3認知症対策(民事:家族信託)

・認知症になると不動産の売却や金融機関で出金ができない

4相続時のトラブルリスク予防

・相続で財産の分け方を巡り、相続人が揉める争続にならないために、健全なうちに贈与者本人が何故その人に譲渡するのか説明することができる。

②生前贈与のデメリット

・贈与税が課せられる可能性がある

③贈与税の基礎控除

・毎年、受け取る人の人数×年間110万円が非課税

・毎年毎年110万円以下なら贈与税を気にすることなく贈与できる

※場合によっては相続税に転化される場合があり

④亡くなる3年前

・亡くなる3年以内に生前贈与された財産額は相続財産に加算される

                                   

※親の住んでいた住宅を相続で所有したが、諸事情で自分達は住むことができない。なんとかしなくてはと思っているうちに近隣から雑草が伸びてきたとか木の枝が越境してきたとか苦情がきた、管理や手入れが面倒で困っている、というような人が増加している。長寿社会となった日本は年配者の介護、孤独死、認知症等に対しての対応は避けて通れない。誰でもその時は必ずくるのだから、終活を念頭に置き、残された人達が争うことがないように、財産の見直し、身の回りの整理、遺言、生前贈与、不動産の処分も含め目の黒いうちに体が効くうちに早めの対策、準備をしておきたいものだ。

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『危ない VOL.184』8月のコラム上へ

その昔、中国に鳥窠道林(ちょうかどうりん)という禅僧がいて、いつも木の上で座禅をしていた。ある時詩人としても知られる白楽天が訪れた。木の上で座禅している禅師を見上げ、白楽天は「危ないぞ、危ないぞ」と言った。すると木の上の禅師は「お前の方こそ危ないぞ」と返答した。白楽天は不思議に思って「私はこうして地に足をつけている。また社会的地位も財産もある。この私の何が危ないのだ」禅師曰く「アハハ!今のお前は積んだ薪のすぐそばに火があるようなものだ。いつ燃え出すか分からない。お前の方が危ないぞ」と言う。

確かに木の上で座禅している方がいつ落ちるか分からないので危うく見える。しかしたとえ地面に足がついていても、またどんな立派な肩書があろうとも、薪のそばに火があるようなものでいつ燃え出すか分からない。火というのは怒り、憎しみ、妬み、貪り、愚かさのこと。この人間の煩悩ともいえる本性に火がついたら足を引っ張られ、いつ燃えてしまうか分からないではないかというのだ。

仏陀は「一切が燃えている。貪欲の火によって燃え、瞋恚(しんい)の火によって燃え、愚痴の火によって燃えている」と説法した。お互いの心が、過剰な欲望である貪欲や、自分にとって好ましくない事柄に憎しみや妬みなどの感情を起こす瞋恚、正しい道理を知ろうとしない愚かさによって燃えているというのだ。さらに仏陀は、人間の過ぎた欲望がいかに危ない状況を生み出すかということを、燃えている松明を持って干し草の上に座っているようなものだとも譬えた。心に貪りの火が燃えていれば、いつか誘惑に負けてしまい、自身もまわりも燃えてしまうことになりかねない。古語に「怒りは心中の火、よく諸々の功徳を焼く」と諫めている。

 禅師から、危ないとたしなめられた白楽天は、襟を正して「それでは危ないから脱する仏法の極意をお聞かせ願いたい」と問うた。禅師は「諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)」と答えた。(悪いことはしないように、善いことを行い、自らの心を浄めること)白楽天は「そんなことなら3歳の子供でも知っているではないか」と言った。そこで禅師は「3歳の子供でも知っているが、80歳の老翁でも行うことは難しい」と返した。言うは易し、行うは難し。目指すは善行、心浄でありたい。

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『自助 VOL.185』9月のコラム上へ

今年6月に金融庁が公表した報告書。年金だけでは老後資金が2000万円不足するという。元々年金だけで生活できると考えて人は少ないだろうが、ぼんやりしていた数字が目の前に現れ「え?何それ、そんなに?」というのが一般庶民の感覚ではないか。すでに退職しており「2000万円も貯蓄ない、どうしよう」と不安になる人もいただろう。政府は事態の沈静化に追われ、野党も表面的な与党批判に終始。国民の不安をいたずらに煽り、今後のどうすればよいのかという本質的は議論に発展しなかった。

この報告書の中身は老後に向け、ライフプランやマネープランをしっかりと立てましょうということが主眼になっている。家族構成や年齢により生活様式が多種多様な現代。つまり自分の家計をよく把握して生命保険や生活スタイルの見直しをしましょうということらしい。老後の生活を、国から支給される年金ですべてを賄うことは現実的ではない。人生100年時代においては、一人一人が他に依存しないで、自力で生活することが求められる時代になったというわけだ。

そこで過度の依存心から脱却して自助努力の精神を養わなければならない。サミュエル・スマイルズの自助論。冒頭にかの有名な「天は自ら助くる者を助く」という格言を掲げ、自助努力の重要性を次のように説いている。「自助の精神は人間が成長を遂げる礎である。自助精神が国民に根づくなら、活力ある強い国家を築く原動力となるだろう。外部からの援助は人間を弱くする。保護や抑制も度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。どんなに厳格な法律を定めたところで、怠け者が働き者に変わったり、浪費家が倹約家に励みはじめたりすることはまずない。我々一人一人が良い生活態度を身につけない限り、どれ程正しい法律を制定しても人間の変革などできない」

 かつて日本人が備えていた自助努力の精神は、戦後の権利意識の高まりとともに希薄になった。働き盛りが上を支える年金は素晴らしい仕組みだが、国民皆が同じ方向を向いているとは思えない。年金受給者も納税者も不安を抱え、困窮することに怯える生活するようでは支え合うという年金の本来の意味とは遠くかけ離れてしまう。受給者は年金頼りの生活にならぬよう自助努力をしよう。老いても何らかの形で世間と接触を保つことは心身の面でも大事である。

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『不動産・空き家・相続 VOL.174』10月のコラム上へ

 我が国の総人口は、2010年(平成22)にピークを迎え既に減少局面に入っているのは国民周知の事実。総務省統計局による2013年(平成25)の空き家率は13.5%。およそ7~8件に1件以上が空き家となる計算だ。一方既存住宅いわゆる中古住宅の流通量は1991年(平成元)~2013年(平成25)が9.9万戸から8.7万戸に減少(▲12%)。国民の持ち家へ関する意向は近年変化しており、安心して既存住宅を購入できる市場環境が整えば、今後流通量が増える可能性は高いと考えられる。そこで2013年(平成25)売買時の利用を前提として「目視」を中心とする基礎的なインスペクションである既存住宅の現況検査について、検査方法やサービス提供に際しての留意事項等に関する「既存住宅インスペクション・ガイドライン」が策定され、2018年(平成30)4月1日より施行された。

さて、そこで上記のような過程を踏まえ、現在大きな問題になりつつある空き家対策を考えてみたい。まず空き家率とは?2013年の総住宅数は6063万戸、空家数は820万戸で、ここから割り出した数字となる。因みに福島県は11%。この統計から5年経っている現在は福島県では13%位と推測される。

 何故空き家が増え続けているのか。答えは明白。少子化により、相続された住宅に誰も住む人がいないから。空き家は、個人の財産という点で所有者とその相続人が主となるが、地主(借地の場合)や地域住民、行政も関係して考慮する必要があり、公共財にも影響を及ぼす。したがって空き家問題というように空き家に問題がつく。この空き家問題は、雑草やごみ等の周辺への環境の影響や、自然災害による倒壊等のリスクを抱えることになり、地域と切り離せない。そこで空き家の売却、賃貸、管理等の相談窓口を各行政や不動産業者が設けており、大きな役割を担っている。特に不動産業者はその専門家として多岐に渡る相談が寄せられる。相続した不動産をどうしたらよいか迷っている人は実に多い。借地上の建物を相続し解体して地主に土地を返さなければいけないが、解体費用が思ったより高額だった。親が建築した当時は建てられたが現在は建築基準法が変わり再建築ができない。室内に荷物が一杯で片づけようと思っているが、なかなか時間がとれない。近所から木の枝が越境している、草を刈ってほしいと苦情がきている等々。

更に、相続人同士の確執。所謂最近よくいわれる争続。肉親の感情のもつれによる争いは第三者が割って入れるようなものでなく、裁判までいくケースも多い。以前は不動産の所有はステータスという風潮があったが、時代が変わり、現在の不動産は争いの種となりかねない。不動産・空き家・相続は一体とみて対策が必要な時代となった

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『ペットとの暮らし VOL.175』11月のコラム上へ

 何年か前からだろうか。ペットが飼えるアパートや賃貸マンションが増え出したのは。以前は大家さんがペットがいると汚される、傷つけられるとして毛嫌いしていて、ペットが飼える賃貸物件はほとんどなかった。建物が古くなり入居率が悪くなって、仕方なくペットを可にする物件が多くなってきて、だんだんペットを飼う人が多くなってきて、古くない物件てもペットOKが増えた。そして社会情勢を反映してか、同じアパートでも飼う人に対して飼わない人がクレームをつけるということがほとんどなくなった。当然飼う人には敷金や家賃の上乗せがあるが、、、

賃貸物件に限らず、一般住宅でもペットを飼う家庭が増えている。少子高齢化が大きな問題となっている我が国で、子供の数より多いといわれているのが飼い犬と飼い猫。2003年に15歳未満の人口と並び、以後ペットとしての犬と猫の総数は横ばいからやや減少傾向にあるものの、依然として15歳未満の人口より数は多い。一般社団法人ペットフード協会の調べによると、2017年犬892万頭、猫953万頭で犬よりも猫が多くなっている。さらに、犬猫とも長寿命になっており、犬の平均寿命は14.19歳、猫のそれは15.33歳。これは室内飼育の増加やペットフードの利用等で飼育環境が大きく改善されたことによると思われる。又、健康に関する知識の普及、ペット保険の普及により獣医師にかかるケースも増えてきたことも要因として上げられるだろう。

こうなってくると入居率が悪いからペット可にしていた時期から大きく様変わりして、ある一定の人は自身の住環境をペットの飼育に適しているものを求めるようになってきた。つまり日常生活におけるペットの比重が上位になったのだ。この社会の変化に呼応して賃貸住宅もペット共生住居といった考え方が出てきた。ペットと一緒に住む人にとって良好な住環境とは近隣への配慮も含めてペットのストレスが極力少ないことが決め手となる。

又ペットに対してアレルギーのある人のことを考えれば、ペット可のエレベーターを設けたり、車等でもペットを乗せたことがあるかどうかを示す配慮が必要になって来ることも考えられる。更に災害時にペットをどうするか、飼い主の高齢化やペットの高齢化等、ペットとの共生は今後各方面に良くも悪しくも影響を与えていくことだろう。

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『2018・探しものは何? VOL176』 12月のコラム上へ

 仏教寓話にある話。お釈迦様が悟りを開かれた後、苦しむ人々を救うために各地で教えを説いて回っていた。2人の男が、お釈迦様がある町にいらっしゃるという噂を聞きつけた。彼らの住む村からは2ヶ月程かかる距離だったが、旅支度して村を出た。道に詳しい者を先頭にし、旅慣れない男が後ろについて行く。出発して3日目。突然の嵐に襲われ、後ろの男は先を歩く男とはぐれてしまい、通りすがりの羊飼いの家に助けを求めた。羊飼いはその男を家に招き入れ、上着と食事を与え、一晩泊めてやった。翌朝、外に出てみると、昨晩の嵐で羊達が怯え、柵から飛び出してしまい、羊飼いが逃げ惑う羊たちを捕まえていた。すぐ出発しなければ仲間に追いつけないと思ったが、一宿一飯の恩義を思うと羊飼いを放ってはおけず、一緒に羊を捕まえることにした。
再び出発し、仲間の足跡をたどっていくと、途中である農家にたどり着いた。そこに住む女に井戸水をもらい、急いで出発しようとすると、その女は夫に先立たれて、幼子を抱え、1人で畑の刈り取りができないと困っていた。男は決心して女を手伝った。
男は再び旅に出た。そしてようやくお釈迦様がいらっしゃると聞いた町に到着したが、お釈迦様はすでに北の村に向かった後だった。そこで男も北を目指し、あと1日で追いつくというところで、老人が川に流されているのを発見。男はすぐに川に飛び込み助けたが、しばらく看病することになった。
こうして男はあと少しというところで、いつも何かが起き、お釈迦様と出会えぬまま、20年という歳月が経ち、お釈迦様が涅槃に入られるという噂が流れた。この機会を逃したら2度とお釈迦様にはお会いできない。お釈迦様に会えるあと一息というところで、1匹の怪我をした鹿が倒れているのを見つけた。このままだと死んでしまうに違いない。そこで持っていた水と食料を与え、看病した。夜が明け、鹿が元気になったので、出発しようとした時、時すでに遅し。お釈迦様は前夜涅槃に入られてしまった。男は泣いた。その時、背後から「もう私を探すことはない」という声が聞こえてきた。男はびっくりして振り返ると、そこには先ほどの鹿がお釈迦様の姿になり、まばゆい光に包まれて立っていた。
人生は遠回り、紆余曲折。何かを探して、何かを目標にして、日々あれやこれやで過ぎ去っていく。今年も御多分に漏れず色々あり、沢山の皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

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