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コラム2016

【2016年コラム】
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『旧恩を忘れない VOL.141』 1月のコラム

時の流れは同じなのに 長く生きていると人生時間が早く感じるのは何故?赤ちゃんはマッサラで空っぽの状態。長じるに従って世の常識とか生きる上での知恵とか、いいも悪いも沢山のモノが詰まって一杯になって、空き容量が減れば減るほど時間は早く過ぎると感じる。容量が満杯になると溢れたコップから水がしたたり落ちるように忘れることが多くなる。個人差はあるが、人間の脳の容量は決まっているという訳。すごい作品を制作する芸術家が常識では考えられない行動をしたり、日常生活ができないような精神を持っていたりするのは脳のキャパをほとんど作品に費やしているからともいえる。一芸に飛び抜けている人は一般人からみれば変人なのだ。
考えてみると世の中を動かしているのはこの変人・奇人と呼ばれている人達である。荒海にひとりで航海に出る、崖から飛び降りる、そんな一か八かの勝負、できるかどうかわからないのにやってみる、という人間が社会を変えてきた。陰からそっと覗いている人間がほとんどの中、誰にも振り向いてもらえず、孤独と闘いながら、食うや食わずの時期を乗り越え、何かを形にしていく。外野でなんやかんやと面白半分にいうのは世間の常だが、変人達は一目散に自分の道を突き進む。そして諦めなければ必ず光を見い出し、称賛を受け、世の中を変える。
新しい年が始まった。毎年新たな出会いと別れ、そして疎遠がある。今年はどんな人と出会いどんな人と遠くなるだろう。「新怨にて旧恩を忘るることなかれ」という言葉があるが、人間親しい間でもなにかのきっかけで疎遠になり「あんな奴とは思わなかった」なんてことはよくある。以前の恩や付き合いを忘れて中傷し、それが本人の耳に入り、互いに顔を見るのも嫌というになる仲になる。個人の感情の行き違いで距離を置くのは仕方ないとしても相手を悪く言ってはいけない。以前の恩を忘れてはいけない。挨拶を交わす位の距離を保つようにしておくことが大事だ。世の中は狭い。人生又いつどこで交差するか分からないし、子供どうしが行き来する仲になるかもしれないのだから。
過ぎてしまえばアッと言う間。今年もきっと沢山の出来事が起きるだろう。世界・日本・福島・郡山・自分の身の回り。どれだけの奇人・変人が出てきて、そして出会えるだろう。自分の脳のキャパが一杯なのか残っているのか分からないが、どれだけの新しい情報が脳にインプットされ、そしてアウトプットされるのだろう。旧恩を忘れないよう心がけよう。
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『時 VOL.142』 2月のコラム

詩人坂村真民に「時」という詩がある。

日の昇るにも手を合わせず、月の沈むにも心ひかれず、あくせくとして一世を終えし人のいかに多きことぞ。
道のべに花咲けども見ず、梢に鳥鳴けど聞かず、せかせかとしえ過ぎゆく人のいかに多きことぞ。
二度とないこの人生を、いかに生き、いかに死するか、耳かたむけることもなく、うかうかとして老いたる人のいかに多きことぞ。
川の流れにも、風の音にも、告げ給う声のあることを知ろうともせず、金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。
年明けて、戦後初めて株価が6日連続で下落。北朝鮮が水爆実験を行い成功したと発表。トルコではテロで死傷者多数。サウジアラビアとイランが睨み合い。
組織といっても人の判断で行っていること。皆平和や幸福を求め争う。目指す頂点は同じなのに裾野で自己主張し、傷つけ、時には相手の命まで奪い、言い分を通そうとしている。国同士、地域同士、家族同士でも諍いが起きる。霊長の最高峰と人間自身が自惚れているが、果たしてそうなのだろうか。
地球の自転も太陽を回る公転も地球上にあるすべてのモノは人間がつくりだしたモノではない。人間そのものも自然の一部に過ぎない。それを忘れ人間がこの世を支配し、その人間同士の中で自分を正当化し、他を排除する。人間としての歴史が始まってから争いのない世界はなかった。スポーツのように互いに認めルールがあるならいいが、ルールのない争いを延々と続けているのが、人間の歴史といえる。ほとんどの国は強い国家を目指し、国民はそれを望み後押しする。米ソの冷戦時にはふたつの大国が睨み合いをし、その後ソ連が崩壊。アメリカの一強時代も束の間、中国が台頭し、そして今テロというなんとも厄介な脅威が各国を蹂躙している。
あくせくし、回りをみる余裕もなく、自分だけがよければいいという思考が人間界に蔓延し、貧富の差が拡大。圧倒的に多い貧しい人々の不平不満を受ける皿が宗教であり、イデオロギーであり、盲目的に自爆テロをも辞さない精神状態に陥らせる。
自然の一部である以上、人間は自然には適わない。他の人はどうでもせめて我だけでも自然を愛でて穏やかな時を持つ余裕を持ちたいものだ。
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『桃栗3年柿8年 VOL.143』 3月のコラム

桃栗3年柿8年 芽が出て実がなるまでに、桃と栗は3年、柿は8年かあkるという、よく知られた諺。転じて何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だという意味だが、続きがあるのはあまり知られていない。
色々説はあるが、桃栗3年柿8年に続いて
「梅は酸いとて13年 柚子は9年でなりかかる」
「柚子は9年の花盛り」「柚子の大馬鹿18年」「枇杷は9年でなりかねる」
「柚子は9年でなり下がり、梨のバカめが18年」「柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年」面白いところでは、「梅はスイスイ13年、柚子は大馬鹿18年、ミカンの間抜けは20年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作は一生もん」などなど
我々人間は早く結果を欲しがる。最短で行こうとする。そういう効率も時には大事だが、急ぎ過ぎはいけない。実のある毎日を送ることによって、年月を経て一人前になる。一足飛びで人は成長できない。月日に流される日々ではなく、着実に一歩一歩努力を積み重ねていくと必ず実がなる。
禅の修行では「馬鹿でも、小馬鹿でもいけない。大馬鹿にならなければいけない。大馬鹿になるには20年の辛抱が必要」と説く。馬鹿にあるのが修行であれば単なる馬鹿で一生懸命勉強した結果大馬鹿になる。それが本当の大馬鹿。
つまり何事にも動ぜず、何を言われても心乱れず、余計なことは言わず、ニコニコと平然としているが、そこにいることにより皆が幸せを感じることができる存在感がある人。いくつもの艱難辛苦を味わい乗り越えることにより、人の気持ちの痛みを共有できる人。そうなるには少なくても惜しまない努力を20年は要するということ。日々に追われ一日を省る余裕がない人は年を重ねても大馬鹿にはなれない。
お釈迦様は人間に3つの迷いがあるという。一つは「貪り」少しでも心地よいもの、快楽をもたらしてくれるものに対し、退け排除しようとし、怒りや憎しみ、嫉妬の火を燃やす。三つ目「愚痴、愚かさ」愚かとは無知に等しく、知ろうとしない、自分には関係ないと無関心で関わろうとしない。
この3つの迷いを払拭して、自分に負けず、努力をする。努力を続ければ凡人といえどもいつか大馬鹿になることができるだろう。人生の最終盤は大馬鹿でありたい。
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『震災から5年 VOL.144』 4月のコラム

あの東日本大震災から丸五年が過ぎた。無情にも多くの人の命が奪われた。震災の例を持ち出すまでもなく、死を予測することは困難である。どこにいようと逃れることはできない。
西洋では死は敗北と捉えているようだが、東洋は「帰源」「帰元」と考える。両親を介してこの世に客としてやってきた。死とはもとの故郷に帰ることである。死生観を明らかにすることは、積極的に生の意味を見出すことに他ならない。
風船が針で刺され破れる。中の空気は外に出て合流するだけ。命も同じ。大いなる命と合流し、又新たな命が生まれる。人は死に直面してはじめて、命とは何かと真剣に向き合う。ギリギリのところで、永遠なるものと繋がっていると気づけば、死の恐怖から解放される。肉体は朽ちるが死んでも死なない境地に至る。
我々は広い海に浮かぶ泡の如き存在である。我々は一滴。蒸発し、雨や雪となり地に降り、又海に戻る。
禅語に「水流れて元海に入り、月落ちて天を離れず」とある。水は流れてみな元の海に帰る。月はみえなくなったといっても、消えたのではない。見えなくなっても広い天から離れることはない。禅僧が死者に引導を渡す時に唱える言葉でもある。死は決して喪失でも敗北でもない。大海に帰るのだ。帰るのだから不安になることも恐れることもない。
「流れのなかで 人は生まれ 人は死す 一瞬もとどまらず 永遠に流されてゆくもの わたしもまた その一人 あなたもまた その一人 でも孤独であってはならない 一つに集まり 一つに溶け合い 流れていく それがわたしの乞いて願う美しい流れ 朝は朝日を浴び 夕は夕日に染まり 手を取り合い 流れてゆく 楽しい流れにしてゆこう」 坂村真民 「流れのなかで」
亡くなった人の姿を見ることも、声を聴くこともできないが、それぞれの近しい人の胸の中には残っている。時を巻き戻すことはできない。復興が進んで、震災前とは大きく変わった風景だが、大切な人を失った悲しみは変わることはない。それでも残された者は生きなければならない。大いなる命の流れの中で、やがて大海で一つになってまた会えると信じて。与えられた命を今日という日を精一杯生きる。それが亡くなった方への何よりの供養になる。
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『食は人が良くなるVOL.145』 5月のコラム

1977年、「アメリカの食生活は命を奪う死病の元」とした「マクガバン・レポート」が全米に衝撃を与えた。米国で、食生活をおろそかにすると健康に悪いという点に注目が集まったのは70年代。60年代後半、生活習慣病の増大により国民の医療費が膨れ上がり、心臓病だけで米国経済がパンクしかねない状況になった。当時のニクソン大統領は巨額の予算を投じたが効果が上がらず、予防を重視した対策へ方向転換を図った。75年フォード大統領はジョージ・マクガバンっ上院議員を委員長とする栄養問題特別委員会を設置。77年に通称「マクガバン・レポート」を発表。この中で「諸々の慢性病は肉中心の誤った食生活がもたらした食原病であり、薬では治らない」とし、大量の脂肪・砂糖・食塩が、心臓病・癌・脳卒中などの命を奪う病気に直結していると指摘。これは病気が菌によってだけ起きるのではなく、食事や栄養の摂り方の歪みによって起きることを明らかにした初めての文章といわれる。  日本では84年に当時の文部省が特別研究班を設置。名称や関係省庁が変わりながらも現在も研究を続け、消化吸収過程から体内での存在形態、臓器や組織への分布と細胞内での解明を行っている。さらに痴呆のリスク低減や脳機能の維持・向上、糖尿病抑制や、増加しているアレルギー抑制成分の研究も行われている。
このように国民の健康寿命を延ばそうと食への取組が進む中、現場ではこのようなことが起きている。某人が地域のコンビ二の七割近くに弁当や食材を卸している会社にお昼時に訪ねたところ、そこの従業員が弁当を食べていた。こちらでつくったコンビ二弁当は食べないのかと聞いたところ、あんなもの食べられるわけないとの返答。驚いて理由を聞くと、国からの指示でコンビ二弁当や惣菜は17時間一切菌が発生してはならないことになっている。そのためその工場では21時間無菌を保つために、入れたくない添加物や薬品を大量に使っているのでとても食べる気にならないという。コンビ二弁当は人間の体内に生息する有用な細菌をも殺し、その結果免疫力が著しく低下して、風邪をひきやすくなったりして、体が弱くなってしまう。
国民の健康維持の為、研究が行われ、食に関する基準をつくり、結果体が弱くなっていく。人体に添加物や薬品が多く含まれていることが原因で、最近の火葬は以前より時間がかかるようになったと聞く。食という字は人が良くなると書く。今こそこの漢字を噛みしめるべきだろう。
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『贋物(にせもの)VOL.146』 6月のコラム

評論家、小林秀雄の話。ある時、日本橋の古美術店で見つけた茶碗がいたく気に入り、その場で買い求めた。数日後、店の主人が小林の家に飛び込んできて平謝りに誤って言うには「誠に申し訳ございません。あの茶碗は贋物でした。頂いた代金はお返しし、茶碗は引き取らせていただきます。」
一反は茶碗を返した小林だが、どうしてもその茶碗のことが気になり、「贋物でも構わないから」と再び買い取った。それからしばらくして、店主が小林を訪ねてきて、その茶碗が実は本物であることが分かったと伝えた。すると小林は「本物であろうがなかろうが自分にとって、これはよい、と確信をもって生きていればいいのではないか。そうすれば、新たな場面でも別の確信が生まれる。それが人生を導いてくれるのだ」と答えたという。
周囲の噂や誹謗中傷に振り回されることなく、自分の信念に従って生きることの大切さを、小林のこの逸話は教えてくれている。自分はこうだという揺るがない信念を築き上げ、それを北斗星として心の中心に置いておけば、多少ブレても修正がきく。とかく人の心は弱いもので、周りの人の言葉によって傷つく。それを浅くするか深くするかも自分の心の鍛え具合による。小林は自分自身を信じていたから、自分の目を信じた。心の傷とは違う話のようだが、小林は周囲の噂話には耳を貸さなかったのではないか。もし自分に関係する噂があったら必ず自分で確信する男だったであろう。
今の世の中どれだけの人が自分を信じて生きているのだろうか?人の目を気にして、人からどのように思われているか、どのように見られているか、を気にしている人がいかに多いことか。人目を気にするあまり、心身のバランスを崩し、鬱になったりアルコール依存やギャンブルへ逃避している。人の心の中には常に様様な喜怒哀楽の感情が渦巻き、欲が沸き起こる。欲をコントロールできず、自分の思い通りにならないことに腹を立て、周囲から孤立して、あげく社会のルールからはみ出してしまう。
心の奥にある魂に耳を傾けると羅針盤が見つかる。傷つくことは悪い事ではない。包丁と砥石のように摩擦により人は磨かれる。磨かれているということを自覚できれば人として成長できる。小林は多くの摩擦を経験したのではないか。だからこそ本物を見分ける目も養われたといえる。小林のような本物の人物もいればそうでない人もいて世の中ともいえるのだが、願わくばやはり本物になりたいl努力をしなければ。
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『信念の力 VOL.147』 7月のコラム

「成功哲学」や「思考は具体化する」等の著書で知られるナポレオン・ヒルの「信念の力」という詩がある。

もしあなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もしあなたがもう駄目だと考えるなら、あなたは駄目になる。
もしあなたが勝ちたいと思う心の片隅で、無理だと考えるのならあなたは絶対に勝てない。
もしあなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ、最後まで成功をを願い続けた人だけが成功しているではないか。
すべては「人の心」が決めるのだ。
もしあなたが勝てると考えるなら、あなたは勝つ。
「向上したい」「自信をもちたい」と、もしあなたがそう願うなら、あなたはそのとおりの人になる。
さあ出発だ。
強い人が勝つとは限らない。すばしこい人が勝つとは限らない。
「私はできる」そう考えている人が結局は勝つのだ。
「成功」という字を顕微鏡でみると、小さな失敗という文字でできていた、という言葉がある。どんなに失敗しても、何度負けても、何度間違えても、夢は終わりではない。何度勝っても諦めたらそこで終わり崩れていく。

短いようで長い、長いようで短い人生。純粋に自分を信じて念じ続けると、言葉や行動に表れ、その思いの方向に努力をするようになる。どんなことがあっても思い続けること。これでもかと心が折れそうになる困難が波状的に起こることは、その意気込みを天が試しているのである。
人には生まれてきた役割がある。心の目を見開き、天から与えられた役割に気付き、それを「思い」として強く念じることだ。これだけ情報過多の時代に目移りしたり、横道に逸れることもあるのだろう。形は色々あるだろうが、役割はひとつだ。一気に飛躍することはできない。何事にも準備が大切。知識を蓄え、知恵を絞り、体を鍛え、筋肉を増強する。人徳を磨き、周りの人を助け、助けられて人間社会は成り立つ。
信念といえるほどの強い精神力を持ち、協調しても流されず、しっかり自分の役割を果たそう、ナポレオン・ヒルはそう言っているように思える。
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『片言隻句(へんげんせきく)VOL.148』 8月のコラム

複雑極まりない事柄でも単純な形の集合体である。言葉も然り。複雑な内容を単純明晰な表現にする。それが片言隻句。酔古堂剣掃より抜粋してみた。
聖人の言は簡。賢人の言は明。
聖人、賢人の言葉は簡潔明瞭で意味が分かり易く筋も通っている。
愚人の言は多。小人の言は妄。
愚人、小人はべらべらと言葉は多いが現実味がなく、何がいいたいのかわからない。相手を丸め込むために言葉で着 飾り、下心を隠すための衣。
得るを貪る者は身富みて心貧し。
物欲、金欲を得ようと貪る者は物量は豊かになるが、心は貧しい。物で栄え、心で遊ぶことになる。小人の経営者が陥 り易く、ある程度事業が軌道に乗り、資金に余裕ができると、高級車を購入したり、ゴルフや美食・飽食等遊行三昧。金 があるうちはいいが、無くなったら、誰も相手にしてくれない。
足るを知る者は身貧しくても心富む。
現状で満足せず向上心は持ちながら、自分の生活はこれで十分と足るを知る。余りを世の為、人の為に回す。奪い合 えば不足し、分ければ足りる、を知っている人。お金持ちにはなれないが、心量が多いので人から頼られる。
高きに居る者は形逸して神労す。
上に立つ者は見た目は楽なようだが、精神的な苦労は多い。偉くなれば、回りの人からチヤホヤされ、羨望の目でみら れるが、心の中は穏やかではない。組織が大きくなればなるほど問題を多く抱えている。サラリーマンで幾多の競争を 勝ち抜いて役員や社長になっても心が休まることがない。かといって権力を手放す気もない。
下(ひく)きに処る者は形労して神逸す。
体を使う労働者は見た目は大変そうだが、心は穏やか。汗水流して一日働き、夜に自宅で一杯は至福の時。平社員は 役職がない分気が楽。
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『リオ五輪を終えて VOL.149』 9月のコラム

南米初、リオデジャネイロ五輪が17日間の熱戦に幕を閉じた。大会前に準備不足や治安、テロ対策が懸念されたが、一部小さなことはあったものの終わってみれば大きな事件、事故もなく無事に終了した感じがする。
日本は金12個・銀8個・銅21個・計41個。これまでの一大会でのメダル数を更新。選手の活躍に日本中が沸き、ドキドキさせられる場面が多く、紙一重で勝敗が分かれた競技も多かった。選ばれしアスリート達の真剣勝負は見る者を感動させる。肉体的にも精神的にもギリギリまで追い詰め、鍛えてきた選手には拍手を送りたい。勝敗はつくが、出場すること自体がどれほど大変なことか。メダルまで届かなかった人にも多くの賛辞を贈りたい。そして惜しくも出場できなかった選手達にも拍手を贈りたい。
日本のメダル数は一時期低迷していたが国を挙げ予算取りをしてテコ入れした効果が表れた結果といえる。国・地域の対抗戦の様な体をなすオリンピック。すべての競技は当然ながらルールがあって審判がいて成り立つ。人間のやることだから中には誤審の可能性は否定できない。命を懸け競技している選手には理不尽な場合もあることだろう。今大会は大きな誤審はなかったようだが、過去には誤審とも思える判定をアスリート達は受け入れてきた。
メダルを目標としてやってきた選手達は大会が終わると燃え尽き症候群になるという。目標を失い、次に何をすればいいか分からなくなるという。メダルを取るため、すべてを犠牲にしてやってきたのだからそれも無理からぬことなのかもしれない。メダルを獲得した選手の中には、メディアに引っ張りだこで有頂天になり、その後は転落する人もいる。人生はメダル獲得後が長いのだから、きちんとその後を生きなければならない。
ロシア陸上界での組織ぐるみのドーピング問題でロシアの陸上選手は参加できなかった。ロシアだけでなく陸上競技だけでなく、勝つためには薬の力も借りるというのは、日本人には理解しがたい。そういう組織や個人がいることは現実で、国柄というかその環境も大いに関係があるようだ。つまり日本は道義的に判断する武士道のようなDNAがあり、いけないことはやらないという風習が浸透しているという。確かに礼儀とか思いやりとかいう面では日本選手は安心して見ていられた。破れた直後のインタビューでもきちんと受け応えしていた。
4年後は東京に来るオリンピック。国ぐるみで日本と日本人の良さを世界に発信する良い機会になる。ハードルは沢山あるがひとつずつクリアして、迎え入れる多くの外国人に、おもてなしの日本人の国民性に触れてもらえたら有り難い。
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『この世のこれから VOL.150』 10月のコラム

20世紀の文化、文明は個人主義的な物の見方、感じ方、考え方が物事を分析的に解明し、論理的に組み立てていく思考方法がエネルギーになり、21世紀の物質的な豊かな社会をもたらしたといえる。同時にグローバル化が進み、多彩な国際社会の恩恵と弊害を抱え込むことになった。思考する物差しが短くなり、個人の心のキャパが狭くなり、相手を思いやるとか自分を犠牲にするとかの利他的に考える人が少なくなった。
個人んも法人も国も損得を基準として、善悪や常識等は二の次。21世紀も16年経つのに益々この傾向は強まっている。中国の南シナ海の埋め立てや北朝鮮のミサイル、イギリスのEU離脱。過激な発言を繰り返すフィリピンのドゥテルテ大統領やアメリカ大統領候補のトランプ氏。力で押し切ろうとする勢力が世界の中枢を担う状況になってきた。
これからしばらくはこういう状況が続くだろう。これから先、人間の思考がどのように変化していくのか。古き良き時代の日本人の精神文化が世界基準になることはなかろうが、せめてその名残だけでも日本人としてDNAに刻み込んでおきたい。
いつしか中流が少なくなり、少ない上流と多い下流。格差が広がる社会を背景に下流老人なる言葉が生まれた。弱者に社会保障の充実をというも本当の弱者とはどういう状況の人をいうのか。生活保護を受けてパチンコをしたら生活保護を止められ、裁判になった。結果、行政が裁判で負けた。先日、女子高生A子さんが、貧困で進学を諦めざるを得ないというニュースがNHKで流された。ところがA子さんが千円のランチを食べていたとか、バンドのコンサートに行ったとか、SNSで炎上したのはつい最近のこと。これが先進国の貧困、相対的貧困というらしい。
個人が大切にされることはいいことだが、前提として社会の一員としての立場はわきまえてのことである。譲り合うことや時には損をすることも甘受する余裕がなければならない。みんな幸せになりたくて、みんな不幸になっている。自由主義も社会主義も根っこは同じ。我を通して相手をねじ伏せたとしても、いつ自分が誰かに平伏されるかもしれない恐れを抱えて生きなければならない。
各地で市議会議員の政治活動費の不正取得が問題になっているが、これも我を先に考えた結果といえる。一事が万事このような世の中になってきたのだろう。孤独な人が増え、睡眠薬がないと寝れない人が増え、ひきこもる人が増え、キレる人が増える。これからこの世の中はどうなっていくのだろう。
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『過去の栄光 VOL.151』 11月のコラム

人それぞれ幸福度は違うが、基本的に自分だけが幸せということはあり得ない。人は誰かに認められることによって喜び、幸福を感じる。反対に非難や中傷、無視されることによって嫌な思いになり自分は生きている意味がない、不幸だと感じる。「健全な肉体に健全な精神が宿る」とはいうものの、健全な精神があっての健全な肉体ではなかろうか。
若いころは肉体に負担をかけても翌日には回復した。肉体を鍛えることにより精神を向上させる。この年代で肉体任せで、精神面を向上させないと精神が幼子のまま置き去りにされ、大きくなってから社会に対応できなくなる。人に認められたい要求ばかり強く、相手を認めることができなくなる。
プロスポーツの選手や芸能人、作家、画家等著名な人で脚光を浴びた人はその高揚感は何者にも代えがたい快感で、自分が真ん中にいることは一度味わったら病みつきになるという。だが、いつまでもヒーロー、ヒロインではいられない。次々と新たな脚光を浴びる人が出てくる。その時のその人達を認めることができるか否か。有名人に限らず、昔はこうだったとか、自分の過去にすがり、大きくカッコよくみせようとする人は身近にも結構いるものだ。いずれも認められたいという欲求から発せられる言葉だか、きている周りは表面では賞賛を送っても、内心迷惑していることが多い。「他人のふり見て我がふり直せ」を意識して、自分を律せられる人はいいが、周囲の閉口に気づかずにいつも自分が中心でなければ面白くない人は実に困ったものである。
自分が幸せになれば周りも幸せなのか、周りが幸せなら自分も幸せなのか。ある程度の年齢までは前者でよかろうが、後者の方が人生においてずっと長くなければならない。頭では分かっていても感情が邪魔をすることも多くあるが、立ち止まって相手の立場に立ってみると以外な視野が開けたりする。過去の栄光は過ぎ去ったものとして、今現在に立ち位置を置き前に進むことが大切。よく政治や金融では「先のことは不透明」とかいうが、誰だってこれから先のことは分からない。予想はできるが、予想通りいかないことが多いのが世の常である。過ぎたことは実体験として残るが、それも次第に薄れ曖昧になる。印象の強かったある一部分を切り取って、いつまでもそこを大事にとっておくのは自分の気持ちの中で十分。もし、本当に素晴らしい栄光なら本人が吹聴しなくても周囲の人達が広めてくれる。自ら言うべきことでもなかろう。
栄光はわが胸の内に、そして悲しみも。
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『マインド・フルネス VOL.152』 12月のコラム

近年欧米で注目を集めているマインド・フルネスと呼ばれている瞑想法・内省法がある。アップル社を設立したスティーブ・ジョブスが生前、座禅の修行をしていたことはよく知られているが、グーグルやフェイスブック、IBMといった世界的に有名な企業がこぞってマインド・フルネスに取り組んでいる。これらの会社では「あなた自身の中を見つめなさい」という言葉が日常的に使われているという。
グーグルは10年ほど前にマインド・フルネスを取り入れた。広いオフィスの隣に日本間のような静かな部屋があり、多くの社員が仕事中にその部屋に自由に出入りしては床に足を組んで座ったり、椅子に腰掛けたりして、沈黙の時間を過ごす。15分ほどすると、再びデスクへと戻っていく。
マインド・フルネスを一言で説明すると、光よりも速く駆け巡る人間の頭の中の思考を止めること。吸う息い、吐く息だけに意識を集中しながら、一切の妄想から離れ訓練すること。
現在の競争の社会構造では、公務員でもない限り売り上げを上げてなんぼの世界だ。利害や損得勘定ばかりに縛られていると、「仕事がうまくいかなかったのは、あいつのせいだ」とか「商談が失敗したらどうしよう」とか「今月のノルマは達成できるだろうか」等と様々なマイナスの思いが湧き上がってくる。一度その思いに囚われてしまうと、そこから抜け出すことは容易ではない。うつ病を含め精神疾患の人達が急増している背景には、恐怖心や不安感ばかりを頭の中で膨らませていることにある。冷静に考えれば、これは現実には存在しない頭の中で自分が勝手につくった妄想、幻聴にすぎないのだが。そこで意識の転換を図る必要性が生じる。モンキー・マインドと呼ばれる散漫な意識から一転、脳をリフレッシュすることにより、目の前の仕事に集中できるようになる。新たなアイディアが成果に繋がることも珍しくなく、成功例が導入企業で数多く報告されている。
世界の有名企業は、どうしたらより仕事の効率を高められるかを模索してきた。その結果、がむしゃらに成果を追い求めるやり方からマインド・フルネスという人間性に根ざした新たな方法に注目し定着させようとしている。短時間、自分の思いを止めることで最もよい解決策を見つけるマインド・フルネスは意識革命である。シリコンバレーから始まったこの静かな革命は、これからの世界中の人達の意識を大きく変えることになるだろう。争いや分裂、物質主義の時代から、内面の調和や愛、共生を大切にする時代に移行していく端緒となることを期待したい。
来年のキーワードはマインド・フルネスだ。
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