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コラム2007

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【2007年コラム】
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『人生60歳から』 1月のコラム

2007年が始った。今年は去年と違い穏やかで雪のない、過ごしやすい良い正月だった。また歳をとるわけだが、人の死に際について論じてみたい。昨年対照的な亡くなり方をしたお二人がいる。お一人は96歳で亡くなった漢字学者の白川静先生。直前まで講演をこなし、資料を見ないで古典を紹介するその頭脳の明瞭さに、拍手が沸いたという。そして眠るがごとく逝った。もうお一人は作家の永沢光雄という人。白川先生より50歳若い47歳で享年となった。癌で声が出なくなり、腸閉塞からくる吐き気で七転八倒の苦痛を味わい、そのストレスから逃れるため、アルコールに依存、肝機能障害で命を奪われた。苦しみぬいた最期だった。

白川先生は「字統」「字訓」「字通」の漢字学三部作を独学で完成。文化勲章も受章。これらの仕事をしたのは70歳を過ぎてから。まさにカクシャクたる晩年だった。95歳以上でなくなる人はその最期の様子は、苦しむことなく眠るように死を迎える。それは現世よりもっと結構な世界に移っていったという感じで「遷化」という言葉を思い浮かべる。「遷化」は高僧の死をいうが、高齢の人は聖人の如く亡くなるようだ。

それに比べると若い人の死は苦しみを免れないようである。若い肉体に宿る、生きようとする力が、忍びよる死とせめぎあうからか。宗教には未知の死への不安とか、死に対する恐怖が大きな比重を占める。ひたすら座禅を組んで心を空にしたり、俗世を離れ瞑想にふけったり、滝行、断食、とさまざまな難行苦行に取り組む。このような修行を何故行うのか、死に対しての苦しみ、恐怖を克服したいように思われる。ところが、高齢で死んでいく人は、特に死の苦しみに対する恐怖を克服する努力をしたわけでもないのに、あたかも聖人や解脱者の如く、静かに安らかに死んでいく。

そこで95歳まで生きることを目標にしたらどうか。加齢による衰えは仕方ないとしても、病気を患ったり、ぼけてしまってはどうしようもないので、健康で、健やかにという条件は付くが。60歳で定年を迎えたとして、それからの35年間、趣味のそば打ちや温泉旅行も、単なる時間を浪費する楽しみではなくなり、生き方と結びついたものになるだろう。人生60歳から何をやるか、である。それには60歳までどのような生き方をするか、でもある。1年、1日の重さは変わらない。団魂の世代が順次退職する今年。年頭にあたり一考に価すると思うが、どうだろう。
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『アトピー性皮膚炎』 2月のコラム

アトピー性皮膚炎は痛みを伴う慢性湿疹が、乳幼児では2ケ月、大人では6ケ月以上続き、増悪と寛解を繰り返す難治性で、遺伝素因があるといわれる。1976年頃から増え始め、その後増加の一途を辿っている。一口でアトピーといっても、乾燥肌でカサカサになって痒みを伴うものから、全身の皮膚が感染をおこしているものまで症状は様々。重症になれば外見からくる精神的な悩みも重なり、家族も一緒に悩み苦しまざるを得なくなる。アトピー性皮膚炎の成因を突き止め、その治療法はないものだろうか。

ある調査の結果、アトピーの最大の成因に洗剤、特に合成洗剤が深く関与していることが判明。ほとんどの日本人は毎日風呂に入り、洗剤で頭髪や体をくまなく洗っている。このような習慣を身に付けるようになったのは1970年代半ば頃空。各家庭に内風呂が定着し、銭湯が消えていった時期でもある。因にチベットやモンゴルには入浴の習慣がなく、アトピーはない。「毎日洗剤で洗っているが、アトピーにならない」という人もいる。当然のことながら個人差があり、ある一線を越えた時に症状が表れるもので、今は何ともなくても将来は分からない。

洗剤には二極性の作用がある。水となじむ親水性と汚れの主たる成分の油性分となじむ親油性。親油性部分が油性分と結合して油滴(ミセルという)を形成し、水に溶けたようになる。洗剤はこの作用を利用して、衣類についた汚れを除去している。皮膚を洗剤で洗うとどうなるか。皮膚の表面は汗腺や毛嚢から分泌される皮膜で被われているが、この皮膜を洗剤で洗い流すと、角質層が露出して、終末神経が絶えず刺激され、その刺激が痒みとして中枢神経に伝えられる。それでもなお洗剤で洗い続ければ皮膚はカサカサになり、ついには「皮膚の居所免疫機構」が破壊され、汗腺炎や毛嚢炎を伴った重症のアトピーが形成される。洗剤で皮膚を日々洗うことは大切な皮膚の居所免疫能力を自ら失うことに他ならず、自らの生命を縮めていると言っても決して過言ではない。

アトピー性の治療で真っ先に処方されるのはステロイド。このステロイドを使っても治ることなく、症状が一時的に抑えられるだけ。やがて再発して症状が悪化。さらに強いステロイドを使う。そして難治性のアトピーと化してしまう。ステロイドは皮膚全体を希薄化させ、紫外線の影響を受けやすくし、これを避けるためにメラニン細胞が増殖し、そのためアトピーの人は一般に黒褐色になっている。人間のいかなる臓器でも病気になれば、修復して良くなろうとする。洗剤で毎日身体を洗うことは自然治癒力による回復は間に合わない。デレビコマーシャルで、毎日洗剤で身体を洗うことが「清潔」で「文化的生活」であるかのように放映され、日本人の多くがそれが当たり前と信じ込んでいる。毎日風呂に入るなら汗や汚れはお湯で流せば十分。身の回りの商品の良し悪しを今一度確かめてみたい。
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『デフレ これからの日本経済』 3月のコラム

日本は今、かってないほどの好景気のパターンに入っている。これまではインフレによって物価が上昇し、賃金も上昇するという、目に見える形での好況だったが、今回は世界的なデフレの中での好況である。物価も上がらない、賃金も上がらない中で、経済成長が続いているパターンである。デフレが起きるのは、大きな戦争のない平和な時代だからである、といわれている。デフレは平和の象徴、経済発展の礎といえる。

長期デフレの特徴は3つ。大規模なプロジェクトによるインフラ整備、人口の多い発展途上国の台頭、そして技術革新。19世紀のデフレ時代には米国に大陸横断鉄道ができた。スエズ運河が開通し、その後20世紀にパナマ運河が開通。21世紀の現在も、ものすごい勢いで大規模なインフラ整備が行われている。パナマ運河の拡幅工事にざっと70兆円、ロシアのサンクトブルクからバルト海底を通して、英国までのガスのパイプラインの施設工事が一昨年から始まっていて、その距離6千7百キロ、費用約150兆円。そして何といっても、いま世界全体で原子力発電への投資が凄い。米国は昨年から原発建設計画に着手し、2030年までに30基をつくる予定である。トータルでかかる資金は7兆ドルとされる。この原発建設の流れは中国やインドにも見られ、2030年まで全世界で100基以上つくられるという見方もある。デフレに大規模なインフラ整備が行われるのは、物価が急激に上昇する必要がないため、長期的な計画が遂行しやすいから。人も企業も国家も、収入に対して支出が少ないため金余りが起こり、インフラ整備に回しやすい。2つ目の特徴として、人口の多い国が世界市場に参入してくる。先進国では物価が下がるが賃金は下がりにくいため、低賃金の労働力を求め、人口の多い途上国へと仕事が流れる。そして、デフレ時代には、飛躍的に技術革新が進んでいく。物価が下がる分、これまで以上の品質の商品・サービスを、これまで以上に安く、スピーディに提供していかなければ、他社との競争に勝てない。売り手は必死になって技術研究開発を行う。するとますます生産性が下がって、さらに物価が下がる。研究開発投資に積極的な企業は勝てるが、力が入らない企業は潰れるしかない。

これからの日本に求められるのは、省エネルギー技術だろう。GDP当たりのエネルギー消費量が日本は世界最小で、その技術力・開発力は世界で群を抜いている。これまで「技術」といえば製品そのものであったが、今後日本はハードだけでなく、特許という形でソフトを売る割合が多くなるだろう。

また日本はハードの技術でも世界最高峰である。原子力発電にしても、現在世界で原発を作れるメーカーは日本の3社しかない。東芝、日立、三菱重工である。バルト海のガスパイプも同じだ。直径1.5メートル、長さ6千7百キロもの鋼管をつくれるメーカーは、新日鉄と住友金属の2社しかない。つまるところ、日本は世界のどの国とも喧嘩にならないほど高い技術を有している。デフレが続き世界中で大規模なインフレ整備が進めば、その注文はすべて日本にくる。デフレだからこそ、日本経済はまだ伸びる。日本の未来は明るいと信じたいが、楽観視すぎるだろうか。
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『風林火山』 4月のコラム

NHK大河ドラマ 風林火山 の由来

兵は詐を以って立ち、利を以って動き、分合を以って変を為す者なり。故に其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。司馬遷 「史記」の孫子呉起列伝の一説である。この風林火山、武田信玄の武田軍の旗の銘で、つとに有名ではあるが、「陰」と「雷震」があることはほとんど知られてない。

まぁこれらの形容詞は大して意味はない。大事なのは冒頭の、兵は詐を以って立ち、利を以って動き、分合を以って変を為す者なり、という一筋。兵の道、戦の道、政治も外交も経済も、なにもかもこの中に含まれる。

正に現代の共産圏の某国。これは詐を以って立っている。如何にして相手を錯覚に陥れるか、如何に相手を錯誤に導くか。日本人の感覚からは、計り知れない不快さがある。ただこういうことは今に始まったことではなく、何千年も前にちゃんと「史記」に書いてある。ドラマ風林火山では、山本勘助が「兵は詭道なり」、兵は偽りの道、つまり戦は騙しあいだと叫ぶ。

平和ボケした日本人。儒教の真髄である、真面目に正直に生きること、が美徳でそれを実践している人が多い。自分は善で生きるのであるから、天道は吾に必ずや幸福を与えるだろう、などと考えるのは大間違いであって、厳しい現実は、理想に生きれば生きるほど、悲劇に陥ることも多々。これを突破して、行きようと思えば、それだけ大理想、大節義を確立しないと、当然のことながら現状、環境に埋没してしまう。「歴史は繰り返す」とは不滅の名言だが、この人間界というものは、性懲りもなく何度も同じようなことを繰り返しているのかもしれない。
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『アンチエイジング』 5月のコラム

世界一の長寿国といわれる日本。ただ長生きをするだけでなく、元気に生き生きと年齢を重ねたいと誰しもが願う。10年後、20年後の「クオリティーライフ」を考え、アンチエイジングに取り組む人が増えている。

米国ボストン大学の調査によると、遺伝子が人間の寿命に影響を与えるのは25%、あとの75%は生活スタイルとのこと。生活スタイルとは、食事、運動、そしてものの考え方や心の持ち方、といえるだろう

まずは食事。バランスよく食べ、活性酸素のコントロールをする。野菜や果物はもちろん、肉や魚も欠かせない。肉には「飽和脂肪酸」といって、動脈硬化を促進したり、コレステロールや中性脂肪を上げたりする成分が含まれているため、悪玉のレッテルが貼られているが、実は肉にも活性酵素と戦う「高酸化物質」が含まれている。高齢になると肉を摂らなくなる人もいるが、それは肉を噛み切る力なくなっているケースが多いから。唾液に含まれる酵素には活性酵素を除去する働きがあることは分かっているが、噛むことによりその分泌が促進される。さらに噛むことは脳の血流がよくなり、血栓防止にも繋がる。中高年になったら粗食にすべきという一般的な考えだが、一概にそうとは言い切れない。

寿命を延ばす方法としてカロリー制限がある。カロリー制限をすると、少ないぶどう糖(グルコース)でエネルギーがつくり出されるので、エネルギーがつくられる時に発生する活性酵素の量も抑えられ、寿命が延びる。百寿者に太った人は殆ど居ない。糖尿病の人もほとんどいない。朝食は血糖値を上昇させない粘りのある、納豆や山芋、オクラなどがお勧め。

そして運動。1日1万歩歩いているメタボリック症候群にはならない。体力全般の衰え、筋肉の減少予防は1日8千歩以上、動脈硬化や骨粗しょう症の予防には6千歩歩くとよい。

最後に明るく前向きに、個性を上手に表現する。何事にも感謝の念を持ち、心身ともに自立心を強くし、いくつになっても生きている証である生きがいを持つこと。

何事も面倒がらずアンチエイジングを目指そう。
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『東井 義雄』 6月のコラム

とうい よしお 明治45年兵庫県但東町生まれ。昭和7年姫路市師範学校卒業、但東町内の小学校に勤務。34年但東町相田小学校校長に就任。その後、小中学校の校長を歴任。47年定年退職し、兵庫教育大学大学院、姫路女子学院短期大学講師などを務める。平成3年没。享年79歳。

拝まない者も おがまれている
拝まないときも おがまれている
やんちゃ者からは やんちゃの者の光
おとなしい子からは おとなしい光
気のはやい子からは 気のはやい光
ゆっくりやさんからは ゆっくりの光
男の子からは男の子の光
女の子からは女の子の光
天いっぱいに 子どもの星を かがやかせよう

苦しみも悲しみも
自分の荷は自分で背負って 歩きぬかせてもらう
わたしの人生だから

身近な人のご恩がわからねば 幸せにめぐりあえない

すべて見える世界は それの幾層倍もの
見えない世界によって支えられている

としよりをたいせつにするかしないかは その人間が ほんものであるか
にせものであるかの ものさし になる

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『相手立てれば蔵が建つ』 7月のコラム

自分さえよければ他を一切顧みない人が何と多いことか。世の指揮者たちも、この様を憂えて、利他の大切さを熱心に説くが、若者はおろか大企業の中にも目の覚めない人の何と多いことか。子どもの給食費、保育費を払わない、公営住宅の家賃を払わない人。北海道のミートホープ社、英会話のNOVA、コムスン。ここ一ヶ月だけでも、枚挙に暇がない。結果を性急に出す風潮が背景にあるのだろう。

易経に「積善の家には必ず余慶あり」とある。幸せを掴もうと思うなら、先ず人様に沢山いいことをしてあげなさい、そのような人、家、組織には必ずいいことがやってくる、と因果応報を説いている。

論語にも「恕」ということばが多く出てくる。恕とは相手の立場に身をおいて考えることが最も大事なことだと説いている。

そこで相手立てれば蔵が建つ十か条

愛 愛は相手の立場に身を置き換え、思いやることを意味する。見返りを一切求めない母の子を思う「愛」は純粋である。
礼 人は一人では絶対生きられない 人が二人と書いて「仁」 仁が形になって現れるのが「礼」
約束 約束は守る。守られない約束は絶対しない
叱られ上手 叱られたらより近づけ!負けるが勝ち
頼まれごと 気の重い仕事こそ 引き受ける 頼まれごとは試されごと
即実行 教えられたことで良いと思ったことは即実行
先手必勝  挨拶は一文の得にもならないと考える輩が多い 挨拶は先手必勝
我慢 人を立てるのがうまい人は「時間の我慢」「好みの我慢」を知っている いくら面白いと思っても、自分の話は半分以下にせよ
相手の気分をよく 立てたい相手は女房、子ども、犬でも立てろ 己の欲せざる所人に施すことなかれ 相手の気分を良くさせることこそ大切

佐藤一斎の「言志語録」の中に、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら肅む」とある。自分には秋霜の如く厳しく、他人様には春風の以て接して相手を立てることが肝要である。言うは易しだが、どれだけ多くの人が相手を思いやることができるかが、「美しい国日本」になることの条件だろう。
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『心をかける』 8月のコラム

現代の日本人には、目に光がなく、言葉にも力がない人が増えている。街で行き交う人たちの、生気のない顔、姿、振る舞いを見るにつけ、「生きていて死んでる人」がいかに多いことか。社会の不条理に押しつぶされて疲れ果てた人、会社の過大な欲求の犠牲になり日々あえいでいる人、人間関係に大いにストレスを抱えている人、何もかもが嫌になって自暴自棄になっている人等、このような人たちから生じる「気」は、陰性で消極的で暗いイメージが共通している。

では、陽性で積極的な考え方で行動をしている人がすべて「生き生きと人間らしく行動しているか」といえば、そうともいえないのが今の日本だ。自分ひとりは生き生きと活動していても、欲望を満たすために利己心をむき出しにして、他を顧みない生き方をする。自分の利益のためには他者のことは眼中に置かない。人の骨折り、苦労、誠意を汲み取ろうとしないばかりか、あくなき収奪をし続けるといった人たちも、人間らしい心を持たずに生きているという点では「生きていて死んでいる人」の部類に入る。自分さえよければそれでいいという考え方は積極的であるがゆえに、苦しみ疲れ果てる人を次々と生み出して、社会に負の遺産を積み上げている。

コーヒー産業界の実態。私たちが味と香りを満喫する一杯のコーヒー代金の千分の一しか生産農家には渡らないそうである。自分ひとりが楽しみを享受し利己心を露にする行為によって、人に過酷な労働を強い、遠くの国の人たちまで苦しめていることに慮りたいものである。自分ひとりだけが一円でも安く買いたい、という欲望が疲れ果てた人を生み出す原因になっていることに気づこう。

河井寛次郎のことばに「もの買ってくる、自分買ってくる」とある。目に見えない人の心を酌み、他の人々に心をかけることこと外側を豪奢に飾るよりも品の良い生き方であろう。人間の区別は「上品か下品かしかない。」今の日本にはどれだけ上品な人がいるだろうか。身近な人、身近なところから始めよう。
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『雨ニモマケズ 宮沢賢治』 9月のコラム

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシズカニ ワラッテヰル

一日ニ 玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨク ミキキシ ワカリ
ソシテ ワスレズ

野原ノ松ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ 病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニ ツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ 死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北ニ ケンカヤ ソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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『力と徳』 10月のコラム

9月12日の安部首相の電撃的な辞任表明には日本中が驚いた。いくらなんでも「それはないよ」というようなことが現実てきになったのだ。毎日いろんなことがあり、慣れっこになった日本人でもびっくりした退陣表明だった。

組織をまとめていくひは「力」で治めていく方法と、「徳」で治めていく方法がある。力に基づくものは「覇道」といい、徳に基づくものは「王道」と言う。今ミャンマーの軍事政権が僧侶などのデモに発砲し、死傷者を多く出しているのはまさしく「覇道」そのもの。この騒動で日本人のジャーナリストも犠牲になり、何とも痛ましい限りである。

一国の政治においても、企業経営においても、長く繁栄を続けるには「徳」でなければ治めることは出来ない。「覇道」は一時的には支持されるかもしれないが、次第にほころびがでて崩壊することは、これまでの歴史が証明しているではないか。自分の権力(人事権や任命権)を振りかざし、権力によって人間を管理し、または金銭によって人間の欲望をそそるような、政治や経営が長続きするはずがない。

実際にトップの人格が高まるにつれ、組織は発展していく。「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」といわれるように、トップの人間性、器の大きさ以上には大きくならない。例えば、小さな企業の経営で成功を収めた経営者が、会社が大きくなるにつれ、経営の舵取りがうまくいかず、会社をつぶしてしまうことがある。組織が大きくなっていくにつれ、経営者が自分に器を大きくすることができなかったからである。トップは人間としての器、自分の人間性、哲学、考え方、人格を絶えず向上させ、努力を重ねていくことが求められる。

今回の安部総理の退陣劇は安部晋三そのものが、総理の器でなかったといわざるを得ない。小泉政権では優秀な女房役だったが、残念ながらトップになれる人間ではないのに、日本丸の指揮官になってしまったところに、今回のような醜態を曝け出すハメになってしまった。そして今や福田康夫総理大臣が舵取りをしている日本丸。多少心もとない印象だが、しっかりと大地に足を踏みしめた政治を望みたい。
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『発展の代償』 11月のコラム

景気が回復し優秀な人材を求め各企業があれやこれやの手を打っているという。就職氷河期は「今は昔」の感がある。

大学にいる時は成績も良く、人間も有能であるというので、大学が推薦して銀行とか大手の会社とかに採ってもらう。採用して2,3年は確かに良かったが、ある程度の年数が経って、5人なり数人の部下を持たせる地位、係長とか課長とかに取り立てる。そうすると意外なことが起こってくる。せっかくその地位に据えたところ、全く部下が付かない。付かないどころか「あんや奴に使われるのは我慢ならない。あんな上司の顔も見たくない。」こういう厄介なことが起きてくる。

部下を思いやるとか、励ますとか、認めるとか、要するに上長として部下を用いることが全然できない。我儘で意地が悪くて、アラ探しをして、文句ばかり言って、人間の嫌味を丸出しにして、教養というものが何もできていない。少数の部下ならまだしも、部長など多くの部下を支配しなければならないポストに据えたら、どんなことになるか。あるいは重役にでも使ったらどうなるか。

こういう人間が多くなってきたことに異存ある人はまずいないだろう。こういう意味では、今の大学は「人格破壊者の養成所」というようにも言われかねない。これは、考えれば考えるほど深刻な問題である。そしてこれは学校当局だけの苦悶ではなく、至るところ、家庭、地域社会、小中高教育、などにその根がある。

戦後アメリカの戦略により、戦前の教育がすべて否定された。確かに戦前の教育に弊害部分があったことは否めない。ただそれと同じくらいよいところもあったのだ。特に徳育に関しては、今の世の中をみるにつけ、復活が望まれる。

このままでは日本は堕ちていくばかり。お金のためには何をやってもいい、自分の欲望や我儘で親が子を、子が親を殺める。賞味期限を誤魔化して販売している製造業者。あまりにも、目に余ることが毎日報道されるにつけ、日本人のモラルの低下、否モラルのなさが酷すぎる。

人間界は常に文化、科学、等のすべての分野で間違いなく進歩を成し遂げている。その恩恵は計り知れない。進歩を遂げている目に見える世界で、目に見えない人間の「こころ」ますます荒んでいっている。天敵がいない人間は「こころ」が頽廃することがその代償なのかも知れない。
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『蛇足』 12月のコラム

今年も残すところあとわずか。毎年のことながら今年も色々とありました。世界、日本、福島、郡山、弊社、そして個人的にも。この一年何をやったと問われるとはてな?とグッと詰まってしまう。充実した一年だったと思う反面まだまだやること、やりたいことが沢山あり、満足できた年とはいえないような気もする。現代でもよく用いられる言葉に「蛇足」という一語がある。よけいなこと、ムダなことの意であるが、この語源を紹介する。

中国の昔、紀元前3百年頃の大昔。楚(そ)の懐(かい)王は宰相の昭陽に兵を与えて魏(ぎ)を攻めさせた。昭陽は魏を破りさらに斉(せい)を攻めようとした。斉の閔(びん)王はこれを憂慮し、ちょうど秦(しん)の使者として来朝していた陳診(ちんしん)にどうすべきかと尋ねた。これに対し陳診は、「心配するほどのことではありません。私が楚に行って戦いを中止させましょう」と答えた。

陳診はただちに楚に行って陣中で昭陽に会見して言った。「楚国の法についてお尋ねします。敵陣を破り、敵将を殺した者には、どのような恩賞が与えられますか」 「上柱国に任命され上級の位の玉を賜ります」 「上柱国以上の高位高官はありますか」 「令尹(れいいん)です 「今あなたはその令尹です。つまり楚の最高の位についております。いまさら斉を打ち負かしたところで仕方ないでしょう。いま以上の位がないのですから。もし敗れたら、身は死、位は奪われ謗(そ)しられ者にされるでしょう。これでは、蛇を描いてそれに足を描き足したようなものです。ある人が、下僕たちに大杯いっぱいの酒を与えました。ところが下僕たちは不満です。数人で飲んだのでは酔うほど飲めない。そこで地面に蛇を描いて、一番先に描き上げた者が一人で飲むことにしよう、ということで一斉に描き始めました。やがて一人が、俺が先に描けたと言って酒杯を手にして立ち、足だって描けるぞと言って足を描き足しました。遅れて蛇を描き上げた男が酒杯を奪って飲み、蛇に足なんかあるものかと言ったといいます。これが蛇足のいわれです。」これを聞き、昭陽は斉を攻めるのを止めたという。

今年のわが国の政治のゴタゴタに当てはめても、蛇足に蛇足を重ねてはいないだろうか。否、翻ってわが身も蛇足の多い一年だったのかも知れない。

来年は多少なりとも蛇足を減らすよう工夫、努力をしようと思う。但し、過ぎたるは及ばざるごとしで走り過ぎないよう、健康に留意しながら……

そして又、陳診のような機転を効かし人の心に響く言葉が発せられる器の人間を目指そうと思う。

今年も大変多くの方々にお世話になり、本当にありがとうございました。従業員一同心より感謝申し上げます。又来年も宜しくお願い申しあげます。最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸を心より祈念申しあげます。ちょっと早いのですが良いお年をお迎えください。感謝合唱
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