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コラム2024

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【2024年コラム】

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『 球根  VOL246』 10月のコラム上へ

土に生えている植物は葉っぱは枯れたとしても、植物自体は命を保ち続けている。目に触れる葉っぱや茎と、地中の根があって植物が生存できるように、人間もまた、見える部分と見えない部分が、お互いバランスを取りながら生きている。人間生きていれば、色々な試練に直面するが、その裏にはそれと同じだけの恵が隠れている。後年になって「あの辛い経験をしたからこそ、今の幸せがある」「厳しい苦しい体験を乗り越えてきたから成長できた」としみじみ感じることがある。嫌なこと、苦手なことを避けたいとは誰もが思うのが人情だが、自分の意思とは関係なく、厳しい現実とぶつからざるを得ない状況に否応なしに追い込まれることもある。自分でしか乗り越えられない状況の中、それでも「辛い、苦しい」と身悶えしながら歩みを進めていくうちに、時間が経過し、後日あの出来事が大きな恵であったと気づく。

その人にとってマイナスと思える出来事がその人を鍛え、豊かにして、他人への思いやりや気遣いができる人間へと成長させてくれる。もし、人生が平坦で楽なことばかりだったら、他人のことは考えずに周りから横柄で傲慢な人と見られ、付き合ってくれた友人も離れていくだろう。艱難辛苦の境遇も成長のチャンスと受け止めていくところに豊かな人生が花開く。天地の働きは人智を超えて実に精妙だ。人間にとって生老病死は避けられない。歳をとって認知症や体力の衰えは自然の摂理。何かと厳しく口うるさかった親が、だんだん優しくなり「ありがとう」と感謝の言葉をかけてくれ、人間らしさを垣間見せてくれることもある。

完璧人間はいない。体力も気力も充実している時は誰かに力を与え、年老いて弱ってくると誰かから支えてもらう。お互い助け合い、それぞれの役割を全うし、絆を深める。年配者は体の動きが若い時のようにはいかない。人の手を煩わせることも多くなる。それでも若者を上回る経験や知識がある。歳を重ねたからこそ見えてくる世界がある。体が動かせなくても、次代に継承していく務めがある。よく大袈裟に心配する傾向も相手のことを思ってのことだ。疎遠になっていても、身近な肉親のことは祈りに近い思いで心に秘めていることも多い。

詩人:北川冬彦の「球根」という詩

葉が枯れたから 掘って見ると 球根は しっかりと肥えている まわりに 幾つも子をつけて 生きとし生けるもの 連綿と命を繋いでいく。


『 上善は水の若し  VOL245』 9月のコラム上へ

老子:上善は水の若し。水は善く万物を利して而して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。最上の善は水のようなものだ。水は万物に恵を与え、誰とも争わず、誰もが嫌うような低い場所に流れ、そこに収まる。

水の四徳。一、「群生を沐浴(もくよく)し、万物に通流するは水なり」水はあらゆる生けとし生けるもの洗って潤す。二、「清を揚(あ)げ濁を激し、滓穢(しわい)を蕩去(とうきょ)するはこれ義なり」水は清濁にかかわらず、奮い立たせて、色々なものの滓(かす)を洗い流してしまう。浄化する。これは義である。三、「柔にして犯し難く、弱にして勝ち難きは勇なり」。四、江を導き、川を疏(うと)し、盈(えい)を悪(にく)み謙を流すは智なり」

俗人は出世したがったり、地位や名誉を欲しがったり、高きに上がりたがるが、水は反対に衆人の嫌う低い方へ低い方へとつく。そうするこによって万物を潤す。人の作為的なことにお構いなく、下へ下へと流れる。現代人は国や民族を問わず、余りにも物欲的、刺激的、作為的に流れ、挙句に心の病を抱え、錯乱に陥る人も少なくない。思うようにいかないなら、抵抗せずに気持ちを流れに任せればいいのだが、どうも人間の性というものは、自分の思うようにしたい生き物らしい。軋轢や中傷誹謗を繰り返し、疲れ切って、やっと自分の力ではどうにもできない大きな流れがあることに気づく。下の方へ、低い方へ自然に流れることが、人としての真の生き方だと気づく。

皆に一目置かれ、慕われ、周りに人が集まる。誰もが、そういう生き方を望んでいるのだが、我欲がそれに蓋をして、我先にと先頭を走りたがる。そういう競争をしている時は、相手しか見えず、遅れをとるなんてことは屈辱以外のなにものでもないと思い込んでいる。傍からみると滑稽だが、本人は至って真剣に走っている。忠告されても耳を貸す余裕もない。人より先に行けば行くほど取り巻きからはちやほやされ、やんややんやと持ち上げられる。それだけの人望と能力があれば、冷静に自分をコントロールできるだろうが、まずそういう人は皆無に等しい。言葉と行動が違っていても、取り繕うことが上手な人が上に立つ。低い方にいて、持ち上げられることは今の世ではないだろう。岸田総理が再選を目指さず、今後の日本の舵取りが誰になるか間もなく決まる。票集めに奔走する先生方は低い方に流れるなんてことはあり得ない。

老子はこうも言っている。天下は神器なり。為(な)すべからず。執(と)るべからず。


『 Well-being(ウィルビーイング)  VOL244』 8月のコラム上へ

Well-being(ウィルビーイング)とは、Well(よい)とBeing(状態)が組み合わされたことばで、精神的、身体的に健康な状態にあるだけでなく、社会的、経済的に満たされている状態を意味する概念。

ウェルネス(wellness):身体が健やかであること・身体が元気な状態

ハッピネス(happiness):個人の精神的な満足(幸せ)

ウィルビーイングはウィルネス・ハッピネスを含めた心身ともに健康で良好な状態で、なおかつ一時的、瞬間的に良好かどうかではなく、持続的に良好であることをいう。経済の成長はGDPなどの指標で、生活の豊さの指標がウィルビーイング。2024年国別の幸福度ランキングで日本の順位は137カ国中51位(2023年は47位・2022年は54位)。因に1位はフィンランド、2位はデンマーク、3位はアイスランドと北欧諸国が続く。他の国に住んだことがないので比べようもないが、こうしてみると日本よりも幸福を感じることができる国が50カ国位はあることにちょっと驚く。

何人かの経営者や所謂大手企業の役員クラスに聞くと毎年100人の新卒を採用するが3年後は約半分、5年で約3分の2は退職するそうだ。またそれを見越して採用するのだが、なかなか思うようにはいかないようだ。某大手銀行の支店長が言っていた。採用して3年以内に退職者が出たら、減給されたと。働き方改革で定時から定時。休みはしっかりとる。辞めるときは代行に依頼する。こういう20代を調合できないと企業が成り立たない。労働環境を改善して、空いた時間で趣味や家族と過ごして、心身共にリフレッシュする。そこに幸福感が生まれる。そういう世の中。フレックスタイムの導入や副業や兼業を認める企業も増えた。長時間の通勤から解放され、在宅勤務やリモートワークもある程度定着したといえる。時間を選ばない働き方も増えた。

行き着くところは人。誰がどのような選択をするか、どこに幸福を感じるか各人によって違うのは当たり前。長い人生ウィルビーイングで過ごすことができればいうことなし。艱難辛苦なんてもってのほか。嫌なことも辛い目にも遭いたくない。持続的な幸福を求めて今日も人々は営む。狭い日本から飛び出し、北欧の人達の暮らしを覗いてみたい気もする。きっとみんなにこやかで穏やかな生活を送っているんだろうなぁ。お金とか名誉とかではない、違う幸福感を見つけることができる国民性なのかもしれない。

北欧に暮らすなんてことは現実的ではないので、少しでもウィルビーイングを目指す暮らしを心掛けるとしよう。


『 天道の是非 VOL243』 7月のコラム上へ

それなりの年齢を重ねても、否、重ねる毎に世の中、どうも腑に落ちないことがある。天道というものは是か非か。天道が是なりとすれば、真面目な人、誠実な人、所謂道徳を身につけている人は栄えて、反対に悪徳人や暴力や脅しで制するような人が酷い目に遭って天罰を受け、懲らしめられていい筈だが、世の中そうはなっていない。裏で悪を働き、人を騙し、蹴落とすような、とんでもない人間がとんでもなく成功したり、栄えたりしていることは珍しくない。一体これはどういうことなのか。善なる人が窮地に陥り、窮地に追いやった悪人が栄える。天道は非を良しとするのか。天に唾するような人間がのうのうと贅沢な暮らしをすることを是とするのか。そんなことに思いを馳せるとどうも理解に苦しむ。

古来より人間の弱い部分を補って、その拠り所となってきた最たるものは神とか宗教とか哲学とか。その神とか宗教とか哲学の本は天道。文化という言葉さえない人間の誕生した初期はすべて天道に沿った生活があった。時代が下り、今は天道そのものが死語になった。本性を現し、争いを興し、争いに勝つことで人々の注目を集め、賞賛される。又民衆もそういう人を支持し、あわよくばその恩恵に預かろうという下心を持って接する。恩恵に預かれなけば、他に預かれそうな人に簡単に乗り換える。乗り換えられると困るので、乗り換えられないように益々毒まんじゅうを配る。その繰り返し。支持を集める人が為政者になるのが民衆主義というものだが、支持を集める為、手段を選ばなくなった。勝たなければ、ただの人。見向きもされない。一度壇上に上がり、民衆を見下す甘い快感を味わったら、その味は他に変えようがないほどの美味。

人間には道というものがある。本来、その道はひとつなのだが、道の定義が人によって違う。賢者が是とするところは愚者は非とする。愚者が是とするところは賢者が非とする。人間が何によるか、何に従って生きるか、何を目的とするか。生まれた環境、育った環境によって大きく左右されるのだろうが、長じるに従い、天道の存在に気づき、志が持てるかどうか。志を持てた人は気づいた人といえる。気づけば志を持たざるを得なくなる。

是か非か。天道というものは、人間の浅はかな、我儘な、弱い、欲望や思考をはるかに超えた絶対的はものなのだろう。それを人間が勝手に是とか非とか考えている。天道は人間界のゴタゴタには関わらず、まぁ人間達は好き勝手にやっているなぁくらいで見ているのかも。

天道って人が本来生きるべき道ということなのだろうが、本当にあるのだろうか。人間界に幸福の世界って本当にあるのだろうか。


『 覚醒 VOL242』 6月のコラム上へ

突然の閃き。いくら考えても、どうもいい案が浮かんでこない時、夜中にハッと目覚めて思いつくことがある。ということは寝ていても、そのことを始終考えていて、潜在意識の中に常にそのことがあって、パッと出てくるということ。研究に没頭したり、思索したり、問題に全身全霊に打ち込んで精神を総動員している時、閃きはパッと出てくる。氷山は八分の一が水上に出ていて、水の中に七倍もの氷があるという。人間の意識、知覚はほんの一部で、潜在意識、潜在精神は無限だ。だから、全生命、全身全霊を打ち込んで事に当たれば、非常に神秘的な知覚が働く。

中国・唐の時代(618年~907年)。禅僧がむやみに振り回す警策、棒喝の元祖と言われる徳山宣鑑(とくざんせんかん)。宣鑑は金剛般若経に精通し、「金剛般若経にかけては俺の右に出る者はいない」と自負していた、まぁ今でいう自信家の知識人というところか。この宣鑑が竜潭崇信(りゅうたんそうしん)に参ってしまい、修業のやり直しをした。ある夜、師匠の崇信が言った。「もう夜も更けた。帰って休むがよかろう」「ありがとうございます」と宣鑑。外に出ると真っ暗。あわてて引き返し、「外はもう真っ暗でございまして、、、」師匠に告げると「そうか、それではこれを持って行け」と提灯に灯を点けて渡してくれた。宣鑑がありがたくその提灯を持って出ようとした途端、師匠がフッとその灯を吹き消した。その時、宣鑑はハッと、真実を掴んだという。自分自身が明かり、灯明にならなければいけない。手燭(てしょく)を持つことではない。そんなものは、消されたらそれっきり暗黒だ、と悟った。

娯楽が溢れている世の中。テレビやスマホを見始めると、次の展開が気になりつい見入ってしまう。この時の脳は自分で考える思考が停止している。否が応にも精神を散乱させるような面白い情報が湯水のように流れてくる現代。これではどうしても気持ちが散漫になってしまう。この散漫になった自己を取り戻す必要がある。自分自身を徹見する時間を持たなければ、考えることをしない脳になってしまう。

風呂に入りあくびをした途端、突然アッと思い出したり、川の流れをボーとみていたら、あの懸案はこうすればいいんだと閃くことがある。特に就寝前と目覚めの時に潜在意識が答えを教えてくれることが多い。心の深いところでどういう自分になりたいか埋め込んでいれば、何かの拍子で人間は覚醒する。


『 毀誉褒貶(きよほうへん VOL241』 5月のコラム上へ

とかく人間というものは、金や色よりも、世間の評判、つまりそしられたり貶(けな)されたり逆に褒められたりすることに弱い。耳の遠い年配者は何故か自分のことは聞こえる。それだけ人間は、自分への他人の評価が気になるものだ。褒め言葉はそれはそれでくすぐったい気持ちになるが、悪い噂やからかい半分の噂は2面白半分に尾ひれがついて「ここだけの話」がいつの間にか広まり、巡り回って自分の耳に入るといい気持ちはしない。その中身は浅解・誤解・無理解などがほとんど、ということも珍しくはない。また上に立つ者、優れた人物、難事に当たる人ほど、そういう憂き目に会うのがこの世の常である。 まぁ、お互い言うも言われるも気を付けなければと思うが、、、

SNSの普及で、あることないこと情報が氾濫している今日。みだりに他人の批評に一喜一憂するような小心狭量では、大事を為すことはできない。とは思うものの他人の名誉欲に伴う阿諛迎合や妬み、憎しみは不快さが残る。腹が立つ。それが身から出た錆びならまだしも、いわれのない個人的な嫉妬からくる中傷はいかんともしがたい。世の中自分を分かってくれる人ばかりではない。自分の内面を充実させ、世間を相手にするより、自分自身を生きることだという信念がないとブレてしまう。世間を嫌悪してしまう。所詮世間はそんなものだと割り切るしかない。自分自身もそういう世間の一員なのだから。富貴、功名、毀誉褒貶が気にならないまでに自身を向上させればいい。少なくともその高みを目指すことが大事。その過程でその人の評価が変わってくる。内省すれば外物軽しだ。

行き着くところは自己の確立。それができて身近な人や地域や国家を論ずることができる。(自分を差し置いて論じても相手にされない)自分がキチンと自立してから、己から脱却→己を抑え捨てる→公共的・奉公的精神を養うことができる。ある程度の経験を積み、年齢を重ね、世の中に奉公できれば、目先の噂は馬耳東風というものだ。

天命を解する人間まで自己を上昇させれば、何事にも動じることはない。自己の意識と天命が一致していると自覚できれば、何事も怖いことはない。すべて為すことを為す為にここに存在しているのだから。生身の人間だから、そしられれば感情が揺れ動く。言われぱっなしだと意気地がないと思われても、それでも言い返したりせず、「笑って屑(こせ)かず」の心境を保てればいい。が、言うは易し、行うは難し。


『 斡旋の才 VOL240』 4月のコラム上へ

江戸後期の尊王攘夷の活動家。久留米藩士。真木和泉(まきいずみ・1813年~1864年)が著した何傷録(かしょうろく)の中の一文。

斡旋の才 人の世に生まれたるは、禽獣草木の死生栄枯するとは違ひて益ある様にあるべき事なり。四徳を養い、学問するは徳を養ふ為なれど、心を用ひて養ひ成すべし。才といふものは事をなすを才といひて、さまざまあれど、此れにいふ才は斡旋の才といふて人事をなす才なり。いかばかりか善き人にても、いか程の徳ありても、人として此斡旋の才なきものは世の用に立つことなく、無用物なり。たとひ無学にもて此斡旋の才あるものは何事にあたりても功をなし用立つなり。

四徳は才能、決断、度量、見識。学問は徳を養うためだが、大事なのは斡旋の才。斡旋とは仁からくる慈悲、愛情。人を愛するがゆえ、いろいろ世話をする、面倒をみる。取り計らう。人間が利己的だと、この斡旋ができない。無精でもできない。それに反して少々不細工でも、知とか才がなくても、志・誠・愛情・徳というものがあれば、斡旋はできる。これはちょっとした才能や知恵ある人物よりずっと世の役に立つ。斡旋がなければ人の世は動かない。斡旋の才能がある人、要素を備えた人はひとかどの人物といってよい。

小さな親切、大きなお世話とはよくいったものだが、人間社会はすべて繋がりで成り立っている。人が人を連れてきて連綿とした歴史が続く。何かのきっかけで知人や友人が増えるものだが、振り返ってみれば、紹介や誰かの口利きで付き合いが始まる。世間は狭い。初対面の人でも話しているうちに共通の知り合いがいることが結構ある。昔は隣近所の付き合いが多く何かにつけ顔を合わせて世話を焼いていた。現在は携帯電話やSNSで用を済ませて、昔ほど顔を合わせる機会が少なくなった。とはいえ、人間ひとりでは生きていけない。よほどのことがない限り「閑」には耐えられない。自分から見ず知らずの人に声をかけ関係を気づくのは勇気がいる。近年家族以外と人間関係が築けず社会参加をしていない引きこもりが多くなっている。希薄になっている人間関係。おせっかいを焼く人も少なくなっている。余計はことはしない方がいい場合もあるが、本人も周りもこれでよいとは思っていない。思っていないが、おせっかいを焼かれると反発して「放っておいてくれ」となる。放っておいてもいいなら放っておくが、そうもいかない現実もある

人と人を繋いで、ウザいと思われない程度に、無用物にならないように、少しでも用立つように、そういう思いが年齢を重ねる毎に強くなっていく。


『 幸せホルモン VOL239』 3月のコラム上へ

喜びややる気といった幸福感を与える物質、俗にいう幸せの三大ホルモンの代表格がオキシトシン・セロトニン・ドーパミン。

オキシトシン:脳の視床下部の神経細胞で産出される神経ペプチドホルモンの一種。主に脳下垂体を介して血中に放出される。抗ストレス作用や摂食抑制作用を持つ。性格:人の話をよく聞く、和やか、やさしい、一緒にいると落ち着く等。出産や授乳、子育てや他個体との関わり合い等で放出されることから「愛情ホルモン」「信頼ホルモン」ともいわれる。

セロトニン:脳の興奮を抑え、心を落ち着かせる働きを持つ脳内の神経伝達物質。伝達物質にはドーパミン(嬉しい・楽しい・心地良い)やノルアドレナリン(不安・恐怖・驚き)等があり、セロトニンはこれらをコントロールし、精神的に安定した状態にしてくれる。セロトニンが不足すると、精神的に不安定になり、攻撃的になるほか、不安・うつ・パニック障害といった症状を引き起こしたり、ストレスを感じやすくなる。さらに集中力の低下、気分の落ち込む、めまいや頭痛なども。女性ホルモンの減少による更年期障害との関係も指摘されている。セロトニンが十分に分泌されていると、精神の安定、腸内環境の改善、睡眠の質の向上など、心身にとって良い影響がある。セロトニンは体内で自然に生成されるもので、精神安定剤とよく似た分子構造をしている。分泌を助けてくれるのが、太陽の光。日光により網膜が刺激されると脳内でセロトニンが分泌される。又、規則正しい生活、栄養バランス、楽しみを増やすことで分泌が多くなる。

ドーパミン:別名、やる気ホルモン。うれしい、楽しい、といったポジティブな感情を生み出す神経伝達物質。毎日の生活に意欲的になり、運動機能にも影響する。「頑張ろう」とか「やってみよう」等、前向きな行動を起こす原動力につながる。欲しかったものが手に入ったり、何かを達成できたりしたときに分泌される。分泌されることにより、喜びややる気が出てくる。その他・褒められた時・新しい発見をした時・想像力が広がった時・感激や感動した時等。

人体は不思議だ。幸せホルモンだけでいいかというとそうではない。外敵から襲われ、生命の危機というようなときに出るアドレナリンも必要。幸福感とストレスを上手に調整して、幸せホルモンを分泌していきたいものだ。穏やかに、ポジティブに、日光を浴びて。・・・ホルモンというと焼肉が頭に浮かぶようではまだまだだなぁ。


『 衰退途上国 VOL238』 2月のコラム上へ

かつて世界の経済を席巻した日本のGDPがドイツに抜かれ4位に後退した。今、日本は「衰退途上国」と言っていいだろう。一人当たりのGDPに至っては31位まで落ちた。国力が沈下の一途を辿る中、大企業や一部の中小企業を除いてサラリーマンの給料は30年以上も上がっていない。国全体として経済的豊かさを実現できず、幸福感もないようにも見える。言論の自由はあるが、情報の発信元に操作されている懸念が残る。国のリーダー達は派閥の政治資金パーティーの裏金問題で火の粉を振り払うことに精一杯。

GDP順位が後退しても、リーダーが身内のゴダゴダであたふたしていても、人々は普通に生活している。それぞれ抱えている問題があるにしても、何とか乗り切っている。小さなことに悲哀を感じ、小さなことに喜びを感じ。目の前の事象にどうしたものか考えを巡らせ、解決策を探り、人間関係の煩わしさを整理して。誰かのせいにしてもなんの解決にもならないことは分かっていて。自分のことは自分で切り開いていくしかない。国が衰退傾向にあるとしてもまずは自分が自立しなければ。そこから地域や国がよくなる。我々一人ひとりの独立独歩が国の活力向上に繋がる。修身→斉家→治国平天下。国法は守らなければならないが、国の舵を取るリーダーはほどほど当てにして。リーダー資質の劣化を嘆いても始まらない。

国の衰退はアメリカに守ってもらっていることに起因する。政治の劣化と国の衰退の歯止めの見通しは立たないが、まずは自分から。バブル時期、台頭する日本に脅威を感じたアメリカが日本に仕掛けてきたのが、構造協議だった。日米構造協議を通じて日本経済のベースになっていた制度や規制、慣行などにも踏み込んできた。例えば談合の摘発と競争入札の推進がある。これにより建設単価、土木単価が下がり、給料も下がった。結果、建設土木会社は大量の失業者が発生した。公務員叩きもアメリカ発。アメリカが日本との貿易交渉を優位に進めるに当たり、障害になるのが優秀な役人である。そこで彼らは選挙で選ばれたわけでもない官僚が国の重要な施策を決めるのはおかしいと喧伝し、官僚叩きと政治家主導の空気をつくった。現場を知らない政治家が主導権を握ると国のために一生懸命働くのが馬鹿らしくなり、官僚は志を失い、公務員人気は下落。今になって優秀な人材確保に躍起になっているようだが。地方公務員も同様で、30年で3分の1まで減ってしまった。かつて優秀だった官僚組織が弱体化し、国力が大きく削がれた現実を目の前にしてリーダーは由々しき問題として自覚すべきなのだが、その兆候すらみえない。

まぁ憂いていても仕方ない。この郡山市でも与野党の有力候補が総選挙に備えて積極的に動き回っている。当選しなければ「ただの人」。ただの人になりたくないで必死だ。国の衰退は目には見えにくいが、徐々に我々の生活にも影響が出てくる。その時になって気がついても遅いのだろうが、どうしたものか。


『 お天道様 VOL237』 1月のコラム上へ

2024(令和6)年が明けた。寒く雪が多かった昔は、夜明けと共に雪を掻き分け元朝参りに行ったものだ。神社が近くになかったので白い息を吐きながら、凍える手を擦りながら父親に手を引かれて。その父によく言われた。「お天道様が見ているから、悪いことをしてはいけない」何故かその言葉が耳に残り、苦境に陥った時、つい楽な方に傾き、易きに流されそうになった時、正しいことかどうかの判断に迷った時、足を止めて踏ん張ることができた。犯罪とまではいかなくても人道的に、してはいけないことはいけないという指標になっている。

世の中が便利になり、寒い冬のこの時期でも暖かい部屋で過ごせるようになった。年賀状が減少し人との関係が希薄になったといっても、誤魔化しや自分勝手の我儘で人を貶めることはどこか必ず綻(ほころ)びが出て、結果折角の人生を台無しにしてしまうものだ。

今年は辰年。龍のように上昇したいと皆思うだろう。上昇するのはエネルギーがいる。何もしないでエネルギーは湧いてこない。自分で鼓舞し、つくり出す。だが、エネルギーだけでは上昇しない。目に見えない後押しや応援が必要になる。周りの協力がないと昇れないし、同時に相手も昇れるようにこちらも手助けする。途中で投げ出してはいけない。投げ出したら、すぐに失速、急降下する。上昇し続けると上昇気流にまで行きつく。気流に乗ったからといっても気は抜けない。後から来る仲間を引っ張り上げる仕事が待っている。

順繰りこの世は回っている。歴史も形を変えて繰り返す。去年は生成AIなるものがアッという間に世界中に広まった。良し悪しは別にしてこのような流れは変えられないし、変えようがない。今年はどんな製品が世に出てくるのか。思いもよらないモノが出てくるかもしれない。

雪もなく穏やかな2024年の年明けと思いきや、自然のみえない力に翻弄されることとなった。元日の夕方に石川県の能登半島を中心とした震度7の地震が発生、福島でも震度4の揺れ。さらに2日には支援物資を搬送する海保自が日航機と衝突、炎上、波乱の年開けとなった。

世の中何があるか分からないし、人類の進歩も終わりがないが「お天道様に恥じない」生き方は忘れてはいけない。小さい頃は、風呂もトイレも外にあった。寒い冬は嫌だったのかと言われれば、そうでもなかった。戦後の経済成長している頃、国民は一生懸命生きていた。お天道様に唾しないように。そして誰かの役に立つように。


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