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コラム2022

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【2022年コラム】

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『 地球が怒る日 VOL224』 12月のコラム上へ

2022年も早12月。今年も色々ありました。この残り1ケ月でも何があるか。

新型コロナの第7波が終わったと思いきや第8波がやってきて今はその最中。収まる気配がない。冬季北京オリンピックが無事終わり、それを待っていたかのようにロシアがウクライナ侵攻を敢行。事前準備をしてタイミングを狙って中国に事前に根回しをして北京オリンピック後に動いたと見るのが妥当だろう。当初のロシアの思惑通りには事は運んでないが、このまま越年して落としどころはどこなのか予想がつかない状況だ。

安保理でロシアのウクライナ侵攻の非難決議を棄権した中国。台湾への侵攻が現実味を帯びてきた。ロシアと中国の連携が欧米をはじめ自由主義国との対立へと目に見えて先鋭化してきた。まだまだ国同士や地域間の争いが懸念される中、サッカーワールドカップカタール大会が開催されている。日本ではあまり馴染みのないカタールだが、メディアによると人権問題が酷いらしい。世界からの注目度が上がり、国としては喜ばしいことなのだろうが、諸刃の剣になっているようだ。一方で他国へ力づくの侵攻、一方でルールのあるスポーツ開催。この同じ地球上で相反する色々なことが同時に起こっている。

11月15日、国連の推計で世界の人口が80憶に達したと発表された。この10年で10憶人増えたとのこと。今後インドやアフリカ各国の増加が顕著になる。30年後には世界の5人に1人がアフリカ人になるとの予測もある。この人口増が人口減少に悩んでいる日本をはじめ先進国に大きな影響を与えることは必然。温暖化による気候変動も気になるが、各国の思惑が絡んで根本的な対策は後手後手になっている。優先順位は経済が一番。資金力があれば軍備増強や他国に支援と称して実権を握ることもできる。自国の利益を優先し、地球全体のことは後回し。領土を拡大し世界の覇者となり牛耳る。果たしてそんなことが可能なのか。ロシアや中国は本気でそう思っているのか。
サッカーワールドカップにはこの2つの大国は参加していない。サッカーに熱狂しているのが参加している32ケ国だけかも。この熱気が冷め、年が明ければ今年より混乱する世界が待っているだろう。止めようがないこの歯車は本来の人間のあり方からどんどん遠ざかる。人口は増える。争いも増える。地球は暖まる。地球は悲しんでいる。そして悲しみは怒りに変わる。地球が怒る日が間近に迫っている。


『 百聞は一見に如かず VOL223』 11月のコラム上へ

よく知られている「百聞は一見に如かず」百回聞いても1回見ることには及ばない。この続きがあることをご存知だろうか?
その続きとは:百見は一考に如かず(ひゃくけんはいっこうにしかず)・百回見ても1回考えることには及ばない。
百考は1行に如かず(ひゃくこうはいっこうにしかず)・百回考えても1回の行いには及ばない。
百行は1効(果)に如かず(ひゃくこうはいっこう(か)にしかず)・百回行っても1回の成果や結果を出したことには及ばない。
百効(果)は1幸に如かず(ひゃくこう(か)はいっこうにしかず)・百回の成果や結果は1回の幸福には及ばない。
百幸は1皇に如かず(ひゃくこうはいっこうにしかず)・百の幸福は1回全体のために行動するには及ばない。
百聞から始まり行き着くところは1皇。皇(すめらぎ)とは天下を統治したまう天皇。天皇は国民皆の為に祈り行動する。それに応えるために我々国民一人一人が幸福感を感じることができる国にしなければならない。皇と国民は一体なのだ。

手始めに多くの人の話や書物から知識を得て自分の目で確かめる。何度か自身の目で確かめたならじっくりそれが人間としての正しい生き方なのか考える。熟考したなら行動に移す。そこで頭で思っている理想と現実とのギャップをどう埋めていくかの問題に突き当たる。ギャップを突きつけられ行動を断念するか、考えを変えるかが試される。そこを乗り越え初心を貫き行動に移すもその結果をキチンと出さなければ意味がない。結果は出したものの幸福だったのかを検証する。多くの成功者と言われている人達は結果を出した人だ。たが果たして幸福だったのか。人を蹴落として自分がのし上がった心の痛みがありはしないか。自分の身近な人をはじめ回りの人達にどれだけ幸福を与えられたか。成功者の中には幸福とは思えず、疎外感や孤独感に苛まれている人が多い。モノやカネや名誉は手に入れ傍目からは幸福に見えるものの、焦燥感が募り、自分の人生は何だったのか自問自答する。

そこで最後は皇になる。要はみんなのため、全体の幸福ため、自分が何を為すのか為したらいいのか。ある程度の年齢に達するとそう自覚する。人にもよるが年配者は優しい人が多いような気がするが、、、最近はそうでもないか。


『 徒然草 VOL222』 10月のコラム上へ

蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ南北に走(わし)る。高きにあり、賤しきあり、老いたるあり、若きあり。行く処あり、帰る家あり。夕(ゆうべ)に寝(い)ねて朝(あした)に起く。営む処何事ぞや。生(しょう)を貪り、利を求めて止む時なし。身を養ひて何事をか待つ。期(ご)する所、ただ老と死にあり。その来(きた)る事、速(すみやか)にして、念々の間に止まらず。これを待つほど何の楽しみかあらん。まどへる者はこれを恐れず。名利におぼれて先途(せんど)の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は又これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて変化(へんげ)の理(ことわり)を知らねばなり。(第74段)

訳:蟻のように集まって東西に急ぎ南北に走る。身分の高い者、賤しい者、老いた者、若き者。行く所あり帰る家あり。夜寝て朝起きる。人の営みは何なんだろう。生を貪り、利益を求めて止まない。身を養って何事を待つというのか。行き着く所は老と死。それは刻一刻とやってきて、時の間に留まらない。これを待つ間、何の楽しみがあろうか。惑う人は老死を恐れない。名声や儲けにおぼれて最終の行き着く死を顧みないからだ。愚かる者はまたこれを悲しむ。今日のような明日がくることを疑わず、不死であることを思って、世の中の万物は変化するという道理を知らないからである。

騒々しいことすら気にかけず、気にならずの状態が現代と思いきや、吉田兼好が生きた鎌倉時代後期も、800年後の2022年の今も同じ。何年経っても人間って本質的に変わらないのかもしれない。

第74段に続き第75段 つれづれわぶる人はいかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。世に従えば、心、外(ほか)の塵にうばはれて、まどひやすく、人にまじはれば、言葉よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。人にたはぶれ、物にあらそひ、一度(ひとたび)はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定まれる事なし。分別みだりにおこりて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり。酔いの中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて(ぼけて)忘れたる事、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しずか)にし、ことにあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶともいひつべけれ。「生活(しょうかつ)・人事(じんじ)・伎能・学問等の諸縁をやめよ」とこそ魔訶止観(まかしかん)にも侍(はべ)れ。


『 喜怒哀楽 VOL221』 9月のコラム上へ

人間の表に見える表情や態度はどれだけ心の有様を表しているのだろうか。意識して作っている場合もあるし、無意識の言動もあるだろうが、いずれにしても心の動揺は何らかの形で表に出てくる。心の時代と言われて久しい。ストレス社会とも言われる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は本来命の危険に直面した後のフラッシュバックや悪夢や不安や緊張の高まりで、辛い現実感がなくなる状態のことをいうが、ハラスメントによってPTSDになったというニュースを多く耳にするようになった。受け止め方や相手との人間関係にも大きく影響するだろうが、軽い冗談や体に触れることが相手は嫌だと思っているかも知れない。逆に相手がそれほど気にしていなかったとしても、後で自分の言動を振り返り、落ち込むこともある。

喜怒哀楽。喜楽の時間は短いが、怒哀は結構引きずる。あの時こうすればとか、あいつがああ言ったとか、あんなこと言わなければ良かったとか。いつの間にか忘れてしまうこともあるだろうが、いつまでもいくつになっても引きずることもある。すべて自分の心の中で整理できればいいが、まぁ生身の人間である凡人は何らかの心の揺れ動きは常に皆あるもの。表向きは何事もないように振舞ってもつい溜息とか出てしまう。健康・お金・人間関係etc。動植物のように何も考えず過ごせたらと思ったことがある人も多いだろう。

好きな食べ物を思いきり食べる。気の許せる友人とお喋りする。吐き出し方は色々あるだろうが、常に平常心を保つ方法があるなら教えて欲しい。傷ついて傷つけてやっと立ち直り忘れたと思ったら別の形で同じことを繰り返してしまう。性といえばそれまでなのかもしれないが、なんか哀しい。これが人の一生なのだろうが、なんか虚しい。もっと中身の濃い充実した生き方ができないものかと思うし、こんなもんかとも思う。いずれ皆空に帰るんだ。地に這いつくばっているうちは喜怒哀楽に振り回されて、自分でありながら自分でないような部分を持ち合わせて折り合いをつけて全うするんだろうなぁ。

見えない自分に押しつぶされそうになる時もあるし、その苛立ちを外に吐き出したい時もある。見えないだけに厄介だし、見えたとしても厄介だ。世の中が便利になり快適に過ごせるようになったというのに、この閉塞感は何なんだろう。悪いとか良いとか好きとか嫌いとかの感情とは別もののように絡み合う喜怒哀楽。複雑で単純な心。自己意識で制御できる人間なんているのだろうか?

世を離れ人を忘れて我れはただ己が心の奥底に住む(西田幾太郎)


『 ご先祖様 VOL220』 8月のコラム上へ

そういえば去年の今頃は東京五輪で大いに沸いていたっけ。コロナ感染者数も急増して時短要請が出されていた。今年、五輪はないがコロナは去年以上に猛威を振るっている。死者数や重症者が少ないということで今のところ特別な要請や規制はない。夏休み真っ盛りで人の移動が多くなるこれから先どうなるか。ワクチン接種4回目も始まっている。当分ウイズコロナは続くだろう。

さて8月といえばお盆。以前は自宅門前に迎え火、送り火を焚きご先祖様の送迎をしたものだが、今は見当たらない。もっとも火を焚こうものなら消防署が飛んでくるだろう。仏壇に線香を上げ合掌して一通りの恰好づけはする。昔程親戚も集まらないし、集まる部屋も狭いし、泊ったらと言う方も言われる方も気を遣う。それでも寛容なご先祖様は遥か天上からにこやかに見守ってくれているにちがいない。どの国でも宗教や言葉や文化や思考が違っていても親子・兄弟・姉妹・親戚の血縁の繋がりを人は多かれ少なかれ感じている。自分はどこからきてどこへ行くのだろうと自問自答する時、ご先祖様へ行き着き、場合によっては導きを求めたりする。

本当にあの世があるか。極楽浄土とか天国とか地獄とか浮遊霊とか憑依とか。信じるか否かは別としても人力では測れない超常現象は身近にも見聞きする。幼児が見えない誰かと会話をしたり、知らない言葉を喋りだしたり等枚挙に暇がない。他の人には見えないものが見えたり、聞こえたりする人は確かにいる。特別な能力が備わっているということなのだろうが、その人がだからといって幸福度が高いとはいえない。それはそれで苦しいものらしい。だから意識的に抑制することもできるということを見える人から聞いたことがある。

少なくとも誰にでもご先祖様は必ずいる訳だから、形はどうであれ思いを馳せるお盆のこの時期。ご先祖様の存在をしっかり感じて受け止めて、恥じないような生き方をしていると報告したい。墓前や仏壇に合掌すると何となく心が洗われたような清らかな心持ちになる。現生での汚れや穢れを手を合わせることで帳消しになるなら虫が良すぎるが、それでも誰にも言えないことも心の中でひっそりと報告できるは、この世にいないが血が繋がっているご先祖様と思うからだろう。いずれ報告する側から報告を聞く側に回るにことになった時、後輩の血縁者達の心の声に耳を傾け、天上から声なき声で伝えよう。儂も君と同じような苦悩や煩悩を抱え悶えた時期があったんだ、きっと乗り越えることができるから大丈夫だよ、と。


『 暑い VOL219』 7月のコラム上へ

本来なら梅雨真っ盛りの6月だというのに、毎日30℃超えの暑い日が続いている。福島県は6月15日に梅雨入りしたものの、ほとんど雨らしい雨は降らず6月29日に梅雨明けとなった。6月の梅雨明けはこれまでの最短で、15日間の梅雨の期間はこれまた最短だという。暑いことにも閉口するがこれだけ雨量が少ないと農作物への影響や水不足という懸念も出始めている。東京電力管内では初めて電力ひっ迫注意報なる注意報が発令された。電力予備率5%を下回る見込みになると発令される注意報だという。暑い時間帯に適切にエアコン等を活用し、こまめに水分補給を行い、熱中症にならないように十分注意して、使用していない照明を消すなどの無理のない範囲での節電を呼びかけた。

異常気象といわれて久しいがここまで毎年暑いと、もはや異常ではない例年の気象といってもいいのではないか。寒いのも嫌だが暑いのも嫌という人間の我儘に自然気象は付き合ってくれる筈もない。人間が合わせるしかないのだが、少しずつ人間の我儘が自然気象を犯してきた結果が今を招いている。この傾向は止めようもないが、一人一人が気が付いて自分にできる小さなことから手をかけていけば今よりは良い環境に戻るのではないか。まぁ気が付くことが大前提だが、自然を征服してきたと考える西洋と自然と共生するという東洋の思考の相違もあるので摺り合わせは一概にはいかない。

何事も巡り巡ってわが身に返ってくる。因果応報ということだ。大きくいえば人間と自然だし、身近なことでいえば家族や友人知人関係、もっといえば自分の気持ちの中の葛藤や迷いや困惑。よかれと思ってやったことが仇になったり、その時は良くても何年後かには大きな障害となったり。マイクロプラスチックで悪者にされているペットボトルだって出始めは素晴らしい便利なものとして賞賛され、現在も多くの飲料水や容器に使用されているものの、海洋汚染の筆頭として減少傾向だ。その時はいいのだが、誰も50年後100年後のことは分からない。今のような温暖化の気象だって、もしかしたら100年後は氷河期のような寒さになっているかもしれない。この温暖化は太陽の黒点の位置が関係しており、CO2の排出は関係ないという学者もいる。

生身の人間にはこの暑さは厳しいし、同じ暑さでも加齢によって感じ方も違ってくる。夏は暑いのが当たり前。エアコンの効いた室内で冷たいアイスクリームでも口に溶かし幸せを感じる季節になったと思えばいい。


『 正直な馬子 VOL218』 6月のコラム上へ

江戸時代初期、ある武士が主君の命で江戸に行き、藩の公金200両を預かり国元へ帰る途中、近江の宿に着いた。やれやれと思ったその時アッとその200両がないことに気づく。その大金入れを道中で雇った名前の知らない馬子(馬を引き、荷物を運ぶ人)の馬の鞍に結び付け、取り外すのを忘れてしまったのだ。もう馬子は帰ってしまい探しようがない。どう考えても取り戻せる見込みはない。取返しのつかない失態に武士は遺書を認め腹を切って詫びる覚悟を決めた。

その夜遅く宿の戸口を激しくたたく者がいた。それは何と昼の馬子だった。馬子は忘れ物の金入れを届けるために四里(約16㎞)の道を歩いて戻ってきたと言う。「これはお侍様の大切な金子でしょう。お返しします」歓喜した武士は涙を浮かべ礼を言い、礼として15両を差し出した。馬子は「当然のことをしたまでで、礼金はいりません」と固辞。武士はせめて5両だけでも、3両、1両でもと言って受け取ってもらおうとするが、馬子は受け取らない。武士は何としても謝礼をしないでは気が済まない。やむなく馬子は四里の道を歩いてきた草鞋代としてわずか200文を受け取った。

馬子の行為に心打たれ感動した武士は「どうしてそなたはそれほど無欲で正直で誠実なのか。このような者がいるとは思いもよらなかった」と尋ねた。すると馬子は「我近江の小川村には中江藤樹という先生がおられ、誠を以って身を修め、忠孝を重んじ、貧賤を以って行いを枉(ま)ぐるなかれ。人生の目的は自分の利益ではなく、正直に人の道、正義に沿って生きることだ、と教えてくださいました。我々はその教えに従って暮らしているのです」と答えた。

これは有名な中江藤樹の正直な馬子の話だが、いくら教えたとしても藤樹自身が言動不一致なら誰も言うことなど聞かない。言動が一致して尚且つ藤樹にそれだけの魅力があるから地域のみんなが教えを守ったのだ。同じようなことが二宮尊徳にも吉田松陰にもいえる。この話のようにまだまだ日本人の気質の中に脈々と正直とか誠実との血は流れている筈だが、山口県阿武町での給付金の誤送金問題。4630万円を24歳の若者が全額ネットカジノで使い込んで返金できない?しない?とか騒がれている。この良き血が少しずつ薄くなっているような気がする。自分中心、自分が一番という傲慢や驕りを持つ人が多くなっている気がするのは思い過ごしだろうか。


『 人間って VOL217』 5月のコラム上へ

人間を長くやっていると人間ってなんなんだろうと思う時がある。あの時のあの人の言葉はこういうことだったんだとか、あの本に書いてあることはこういうことだったんだとか。それまでは何とも思わないことや見過ごしていたことに心が動いたり奪われたり。あの時ああしておけば今頃はどうなっていたんだろうとか。突然に脳裏に浮かんでくることがある。よく相当の年配の人がそろそろお迎えに来てほしいというが、その歳にならなければ分からないことが多くある。今の心境であと20年若かったら全く違う人生が歩めたにと思ったりもする。

その時々で目前のやるべきことや、やらざるを得ないことに精一杯で、後先のことなど考えず、感情に任せて走ってしまう年齢と歳を重ねたがやることが少なくなった年齢の心の持ちようを比較しても、なんともやるせなく切なくもあるが、精神的な成長と身体の成長は一致しないもどかしさがある。外見の体が一丁前の大人になってもまるっきり心は幼い春の時代に、人生の終焉が近い冬の心境を持ち込むことができたなら、世の中の争いごとがずっと少なくなると思うのだが、神様は体の成長と気持ちの成長にタイムラグをつけた。

あとになって走馬灯のように思いが蘇がり、別の道があったのではないかと思ってみても戻ることはできない。戻ることはできないなら瘦せ我慢でも今のこの道で良かったと思う方が前向きに生きられる。いつどこで誰とどうなるかは見えない人生。今日と明日は全く違っているかもしれない人生。歳が若いほど変化に順応できるが、歳を重ねた人ほど変化に追いつけない。精神的な成長と反比例して体力や能力や五感の衰えはいかんともしがたい。

年配者の心身の衰えを年少者がカバーして、年少者の精神の至らなさを年配者がカバーできる社会が究極の平和な世界。おそらく神様はそれを見越して人間を赤ちゃんから老齢者まで創造したのではないか。生けとし生ける者の中で人間だけが他の動植物と違いことばを持っている。ことばは理性を生み本能を抑制する。互いにことばによって意思疎通を図り人間社会はここまで進化できたともいえる。

人間が宇宙に行ける時代。世の権力者達が宇宙から地球を見て争いの愚かさを身に染みて感じることができたらいいのに。人間ってなんなんだろう。


『 第三次世界大戦 VOL216』 4月のコラム上へ

ロシアのウクライナ侵攻から1ケ月半が過ぎた。毎日戦場の様子がテレビで映し出される状況を見ていると何とも心が痛む。歴史は繰り返すというが、第三次世界大戦の可能性はゼロではない。万一、世界を巻き込んでの戦争になると核爆弾が使われることは必至。相手が降伏するまで死ぬか生きるかの戦になる。国連やら国際法なんてものは弱肉強食の世界では何の役にも歯止めにもならない。強い者が勝者となる。軍事力で勝る国が世界を制する。人道的な情けや思いやりなどは吹き飛ばされ、地球上のあちこちが修羅場と化す。人のことなど構っていられず各国が自国の攻守で手一杯となる。

核爆弾の応酬になると地球は壊滅。人類の生存に関わる。人類滅亡も絵空事ではなくなる。自国の欲望を満たすために人類が滅亡するとは本末転倒も甚だしいが独裁者が狂人となれば何でもアリ。相手の脅威抑制のための核が抑制の域を超え、殺人爆弾となり地球の各地に投下される悪夢は誰も見たいとは思いはしない。一部の独裁者を除いては。アメリカがどこまで首を突っ込むかにより状況が大きく変わる。ウクライナの譲歩で停戦が実現されればいいが、今のところその見通しは立っていない。

これまでのもベトナム戦争や中東などでの紛争で米ロの対立はあったが、これまでと違い今回は日本も静観していられないだろう。なにせ世界が狭くなり、輸入・輸出・エネルギー・農産物をはじめ影響は小さくない。ロシアへの経済制裁もさることながら、ウクライナが国として機能しない影響も小さくはない。ロシアにはロシアの言い分があるようで、西側諸国とのイデオロギーの偏差は埋めようがない状況だ。プーチン大統領は周到に用意して今回の侵攻を決行した。思惑通り短期間で終わらせるとはいかなかったと報道されてはいるが、始めたからには当初の思いを完遂するまで続けるようだ。

こうなると一体人間というのはなんなんだろうと思う。同じ人間としてこの世に生を受け、この地球上で暮らしているのにどうして相手を殺戮してまで自分の思いを貫き通すのか。それがロシアという国を守る為に絶対必要なことなのか。戦場がNATOの地域まで拡大するとなれば、間違いなく日本も安穏としてはいられない。軍隊を持たない日本はひとたまりもなくねじ伏せられる。大東亜戦争から米国の傘に守られてきたこの国は第三国の属国になることも十分あり得る。人類の滅亡、生き残るは誰か。なんてことにならないことを祈るが、、、


『 才 VOL215』 3月のコラム上へ

人はそれぞれ何かしらの才を持ってこの世に生まれてくる。皮肉なことに己の才が何かということに気づく者の何と少ないことか。たとえ気づいたとしてもそれを活かさぬまま一生を終える者が大半である。生まれ落ちた環境によって初めから決められた道もあるだろう。自分には出来ない、無理だと思っていたことがやってみたら簡単にできてしまうこともあるだろう。大衆の中で、他の人との比較で、注目はされたいがあまり出しゃばりたくもないと心境が働くことあるだろう。出る杭は打たれる例えのように。

アスリート達のように勝負の世界は分かりやすい。北京五輪が終わったばかりだが、一生懸命に練習し、努力し、常人よりも心身共に鍛え上げてあの場に立っている者たちに順位と優劣がつく。あの場に立ちたくても立てない者も数知れずいる。誰がどのような順序で誰にどのような才を与えるのか。そして気づかせるのか。何が違うのか。どこが違うのか。その違いは才なのか。努力なのか。努力できる人には努力できるという才があり、努力できない人はその才がないのか。努力しなくてもその才を発揮している人もいるのではないか。生きている限り少なからず努力は皆している筈。それを努力と認識しているかどうかの違いかも知れないが、いずれにせよ才という観点みれば?なのである。

士農工商等の身分の違いで才が閉じ込められる時代ではないとはいえ、これだけ人類の色々な分野が発展しても自分の才が何かを見つけることは困難。今いる環境が我才だと思えればそれは幸福。なにせ我の才はどういうものかなどに思いを巡らす人はほんの一握りなのだから。今の仕事が天職だと思える人は才に気づいた人。そしてその才を活かそうとしている人に他ならない。どのような環境で生まれ落ちても必ず何かのきっかけやヒントで「あなたの才はこれだ」という天の声がある。それを聞き取れるかどうか。不平不満を言っているうちは、天声を聴く耳を塞いでいる状態。

場面は違っても人間としてこの世に生を受けた時は同じスタートライン。天に召される時にどれ程の差が付いているのか。その差とは何か。人は生きてきたように死んでいく。その生き様が後世に現れる。現れるのは後世だが、才は生きているに表に出さねばならない。我才能とは何か、心静かにを問うてみることは大事。問えば答えは天から降ってくる。間違いなく降りてくる。才に気づき役割を全う出来れば思い残すことはない人生が送ることができる。


『 顔 VOL214』 2月のコラム上へ

重厚な人が少なくなった気がする。本当に少なくなったのか、今のような世では表に出てこないのか。軽薄な言動の人物に躍らせれている気がする。庶民は目先の安易さを求め、それに応える人物が支持され人気を集める。当然の結果としてその組織も浮ついた組織になる。マツリゴトだけではなく、組織の長となりたがる人物は概して人の目を気にして、人気取りに気を遣い、いかにも自分が上に立つに相応しい人物だと勘違いしている。組織をまとめるに相応しい人物はよほどではない限り手を挙げないから隠居者のように心穏やかに余生を過ごす。

まぁ民主主義は選ばれた人によって成り立つのだが、その弊害は目を瞑るしかない。それにしても一旦地位に就いた人物がその権限に固執する見苦しさはなんとも悲しい。任期が満了して当然の如く前のポジションに就けると思っていたのが、支持を得られずその役職を失うことはよくある。その時に人物の本性が現れる。潔く退任する人は少ない。恥も外聞もなく嫉妬や怨みや猜疑心の塊を表に出す。進退は難しいものだが、人物が出来ていないとその魂が顔に現れ卑しい面相になる。顔は人というが、歳を重ねるとよ~く出てくるようだ。

新型コロナウイルス感染者が信じられないほどの速さで増えている。オミクロン株なる新たな株がそれだ。8万人を超え10万人も現実味を帯びてきた。ついに福島県も全県でまん延防止法の適用となった。更にオミクロン株の変異株も出てきている。重症になるリスクはデルタ株に比べると少ないというが、感染力が凄い。3回目のワクチン接種も前倒しで行われているが、今だ収束に向かう光は見えてこない。昨年末の状況を考えるとこのような第六波がくるとは思いもよらなかった。尤も専門家は必ず第六波はくると言っていたのだから、図らずも言った通りになったということだ。

こういう時こそあの人の言うことなら仕方ないから従おうという重厚な人物がいてくれたらと思う。生活困窮者に資金援助や事業者には支援金や一時金を支給し、その場凌ぎの政策を打ち出し、権威支持を維持しようとしている。それはそれとして救済措置で助かる人も多い。当面の目先の措置としてやらざるを得まい。近視的な施策にはその先を見据えて行うことを忘れてはならない。組織人にしても同じこと。シガラミに捉われずこの人はと思う人はどこかにいる筈だが、はてさてどこにいるのだろう。そういう人の顔を拝んでみたい。


『 協調と競争 VOL213』 1月のコラム上へ

新型コロナウイルス感染報道から丸2年。2年前の正月はオリンピックイヤーで盛り上がる年だと思って気持ちの高揚が少なからずあったが、大どんでん返し、1年遅れで昨年開催された。今年の大きなスポーツイベントは北京で行われる冬季五輪。そしてサッカーワールドカップのカタール大会。オミクロンなる新たな変異株の出現でどうなるかの危うさもあるが、我々には直接の関係がないだけに外野の視点で酒の席で話題に乗るくらいか。

SDGsが浸透してきて、地球温暖化防止の対策がステータスとなり企業も個人も積極的な取り組みがされている。買い物時のエコバッグやペットボトルの再生利用など今年は更に勢いを増すだろう。車もあと10年もすればEV車が主流になるかも。空飛ぶ車も現実味を帯びてきた。そして宇宙旅行や月での散歩も夢ではなくなった。ついこの間IT革命とか言っていたのが、今はAI(人口知能)にとって代わり、家に帰ればお風呂が沸いている、なんてことは間もなくどこの家庭でも当たり前になる。こういう風にこれからは素晴らしい世の中になる。そして今年は益々その機運が加速するだろう。コロナだって目先の今はまだまだ気は抜けないが、そろそろワクチンの複数回の接種や飲み薬が承認されれば落ち着くだろう。めでたし、めでたし。

ところがである。こうなればこうなったで人類の欲望は留まることを知らないから、善い方向ばかりに進むとは限らないのが世の中。どんどん生活は便利になるのだが、それを享受できるのはほんの一握り。いわば経済的に余裕のある層。庶民には夢物語。一部の国や地域では今も紛争が起きている。人は助け合いながら他方では争う。国でも町内会でも規模が違うだけで中身は同じ。求め合いながら奪い合う。支え合うこともあれば突き放すこともする。豊な国と思われている日本が実は引きこもりやうつ病などの心の病を抱えている人が多く、幸福感が少ないのはなぜ?人種や宗教や政治によって人々の向いている方向が違う。

もう気が付いてもいいのではないか。同じ人間として相手とどう向き合うことが幸福なのか。同じ過ちを犯してはならないと歴史は教えてくれている。それなのに繰り返す。いくら宇宙に旅行ができようが、車が空を飛ぼうが、人類は同じ過ちを犯す。生活が便利になったからといっても人間の本筋は変わらず、矛盾を抱えている。何事にも始まりがあれば終わりがある。それを分かっていながら延々と繰り返す。協調しながら競争する。その中で自分の立ち位置を確認しながら時には見失いながら、それぞれの歳を重ねていく。

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