【2026年コラム】
『 窮達(きゅうたつ)は命なり VOL264』 4月のコラム
「窮達は命なり」人生には、自分の努力だけではどうにもならない「流れ」というものが存在する。懸命に走り続けても報われない時期があれば、予期せぬ追い風に乗り、望外の成功を手にする瞬間もある。これは中国六朝時代(222年~589年)の詩集「文選」に由来する言葉とされるが、現代はこのあとに「吉凶は人による」とセットで紹介されることが多い。
困窮に陥るか、栄達を掴むか。その社会的な成否は、多分に運命や天の采配といった自分以外の力に左右される。その状況を「吉」とするか「凶」とするかは、ひとえに本人の振る舞いと心の持ちよう次第である。現代人は、とかく「達」の状態、つまり目に見える成果や高い地位、有り余る富を幸福の条件だと信じ込みがちだ。どれほど華やかな「達」の境遇にあっても、際限のない欲望に振り回され、人々を軽んじるのであれば、それは人生における「凶」と言わざるを得ない。たとえ思い通りの成果が出せず、世間的には「窮」の状態にあったとしても、その状況を静かに受け入れ、誠実さと慈しみを持って日々を過ごす人がいる。そうした人は、逆境を自己を深く見つめ直す糧とし、他者の痛みを知る優しさを育む機会と捉えている。それは紛れもなく「吉」の人生だ。
幸福の本質は、一見当たり前のように思える平凡な生活の中に秘められている。「窮達」という大きな運命の波に翻弄されているとき、「もっとお金があれば」「もっと認められれば」という渇望は、今ここにある豊かさを曇らせてしまう。本当の吉とは、外側から与えられる報酬ではなく、内側から湧き上がる充足感にある。朝、目が覚めて吸い込む空気の清々しさや、今日も一日を無事に終えられるという安心感。こうした平穏な日々を吉と捉えること。それが運命という荒波の上で自分の船を安定させるための舵となる。
「窮達は命なり」という考えは、決して諦めではない。それは、自分の力の及ばない「結果」に対する執着を手放し、今の自分にできる「最善の態度」にエネルギーを注ぐための決意だ。結果がどうであれ、目の前の一日を、目の前の人間関係を、そして自分自身の心を丁寧に扱う。その積み重ねが、平凡な日常を「吉」へと変えていく。不確実な未来に怯え、過ぎ去った過去を悔やむのではなく、今この瞬間の平凡さを慈しむこと。考え方ひとつで日常の中に多くの「吉」を見つけられる人が、本当の幸福を掴むことができる。
「宇宙の法則」:少し不思議で、どこか宗教的にも聞こえる言葉だが、現実的な真理ではなかろうか。ここでいう宇宙とは、遠い銀河の話ではなく、日々生きているこの社会、この人間関係、この時間の流れそのものが「宇宙」という意味。物理の世界では、力を加えれば反作用が生まれる。押せば押し返される。投げれば、どこかに当たり、軌道を変え、やがて別の形で戻ってくる。人間の営みも、実はこれとよく似ている。
例えば、誰かに優しい言葉を投げかける。すると、その人の表情が和らぐ。感謝が返ってくることもあれば、その人がまた別の誰かに優しさを渡すこともある。巡り巡って、思いがけない形で自分のもとに温かさが戻ってくる。逆に、怒りや不満を投げれば、緊張や反発が生まれ、やはりそれも形を変えて自分の周囲に漂い続ける。ビジネスでも同じだ。信頼を投げれば信頼が返る。誠実さを投げれば、時間はかかっても評価となって戻ってくる。短期的には損に見える選択でも、長い時間軸で見れば、投げたものは必ず軌跡を描いている。この法則の興味深い点は、「すぐには返ってこない」ということ。まるで遠くへ投げたボールが、思いがけない角度から戻ってくるように、時間差がある。だから人は、つい因果関係を忘れてしまう。しかし、後になって振り返ると、あのときの選択、あのときの言葉、あのときの態度が、現在を形づくっていることに気づく。
もう一つ大切なのは、「投げない限り何も返ってこない」ということ。挑戦も同じである。失敗を恐れて何も投げなければ、確かに傷つくことはない。しかし、成功もまた返ってこない。勇気を投げるからこそ、経験ができる。努力を続けるからこそ、結果が出る。年齢を重ねると、この法則はますます実感を伴う。若い頃に築いた縁が、何十年も経ってから支えになることがある。何気ない親切が、思いがけない助けとなって返ってくることもある。人生は直線ではなく、丸い円のようなもの。焦りか、怒りか、それとも感謝か。小さな一言、小さな行動が、やがて自分の未来を形づくる。宇宙は広大で無口だが、決して無関心ではない。自分が放ったものを、静かに、確実に、軌道に乗せている。投げたものが返ってくるという法則は、恐れるべき運命論ではなく、自分の手に未来の一端が握られているという希望の法則なのだ。
今ここの自分の言葉や行いが、子孫代々まで影響を与える。人生は個人競技ではなく、壮大な駅伝のようなもの。先人から襷を受け取り、走りながら次へ渡していく。その襷に、誠実さや勇気や温かさを少しでも織り込んで渡そう。それは目には見えない子孫への大きく大切な贈り物となる。
スピードと効率が重視される現代社会。短期間で成果を上げることが求められる一方で、地道な努力や成果が見えにくい変化は非効率として片づけられることもしばしば。確かに効率が良ければ、成果も早く目に見えて現れる。が、問題はそれがどこまで継続できるかだ。世の中そんなに甘くはない。どこかで躓くものだ。成功の本質はコツコツの努力と根気強い継続であることは歴史が証明している。
箸よく盤水を回す:たらいや盆の中の水を箸でかき回す。最初の一振り二振りでは、水面にかすかな波紋が広がる程度で、その試みは無意味なものに見える。だが、諦めず箸を動かし続けると、やがて水全体がひとつの方向を向いて動き出し、ついには中心に渦ができて、勢いよく回転し始める。一度この渦ができてしまえば、もはや箸の力は必要なくなる。水そのものがもつ慣性によって巨大なエネルギーとなり、回り続けるということを言っている。
継続は力なり、微力でも継続せよ。悪しき習慣を見直したり、組織の古い体質を変えようとする時、最初はじれったさを感じ、自分はこの程度かと箸を置きたくなる。そこを踏ん張って、物理的な水がそうであるように、もの事には動き出すまでタイムラグがあると信じて箸を回し続ける。誰かが必ず見ていてくれる。箸に近い水が動き、次第に連鎖して大きな渦になるように、努力をしている姿を見ている身近な人から輪が広がっていく。この輪は性急に成果を出した人たちが築くものとは違い、信用・信頼という強い輪となる。但し、箸で重要なのは、右に回したり、左に回したりと迷いながらだと渦はできないということ。ブレずに同じ方向で、信じた道を一貫する。一貫性こそ、小さな力を大きな渦へと変える鍵だ。
メディアやネットで取り上げられている名の知れた人でも、最初は試行錯誤を繰り返し、常識を疑い、そんなの無理だと周囲が笑っていても、休まず箸を動かしつづけた。水の抵抗を受けながらも、情熱や使命感を持って箸を休めなかった。箸を回せども回せども一向に動かないように見える大量の水に対しても諦めなかった。回り始めるのか回らないのかという不安を抱えながらも耐え忍び…さらにようやく回り始めたからといって気を緩めることなく、ギアアップして渦ができるまで継続した結果、功を成し名を上げることができたのだ。初心を忘れないよう頭を丸刈りにしている有名な起業家が「いつになったら髪を伸ばすのか」という問いに「資金が余ったら考える」と謙虚に答えたという。上には上がいる。
『 2026年 未だ室に入らざるなり上へ VOL261』 1月のコラム
2026年、令和8年が明けた。平成は徐々に遠く、101年目の昭和は随分遠くなった。去年は国の舵取りが変わり、我が郡山市も新顔の市長になった。果たして今年はどのような組織にどのようなリーダーが現れ、どのような手腕を発揮してくれるのだろうか。
人間に完成はない。未完のまま未完で終わる。完成はないなら、完成を目指すことになるのだが、すべての人が完成を目指す方向を向くわけではない。完成を目指す人でも方角が違ったりするし、そこに向かう足取りも違う。人間は面倒な生き物なのだ。どうしてもそれぞれの思惑や欲望が優先し、自分を真ん中に置いて考えてしまう。時間の経過とともに身体は成長し、そして衰える。身体は目に見えるが精神は見えない。精神はどれほど成長、どれほど衰えたのか見えない。身体とは違い精神の成長は衰えを先延ばしし、成長を続けることが訓練でできる。記憶の衰えは如何ともしがたいが、時勢に合わせ自己研鑽をすることだ。時勢は自分に合わせてはくれない。スマホで何でも検索できて便利と思っていたら、今時はAI なるもので更に何でも教えてもらえる。便利になることに反比例して個人の情報も晒される危険性も危惧されているが、この流れは止めることはできない。
論語の一説:未だ室に入らざるなり:ある程度の域には達しているが、まだ奥の部屋(室)、いわゆる人生の奥の領域には達していない。金があればなんでもかんでも、物でも情報でも簡単に手に入る世の中。欲望にはキリがなく、安易に快楽、楽しい、面白い方へどんどん流れ、嫌な物は嫌だと言えば通る世の中。そういう世の中に迎合する人がリーダー選ばれる世の中。自分のやっていることを棚に上げ、さらに自己を正当化するリーダーのイデオロギーやスローガンほど空虚なものはない。真面目にコツコツ働いて積み重ねていく生き方がバカらしく思える風潮が益々加速していくような今年。今年の干支は馬。馬のように逞しく、疾走することができればいいのだが、中身のない、騎手のいない暴れ馬になってはいけない。
相変わらず世界では紛争は続いている。何とかしてあげたいと心は痛むが、何ができるのか。奥の領域に達している世界のリーダーに期待を賭けるしかないのだろうが、悲しいかな肝心の世界のリーダーが奥の領域に達しているとも思えない。ならば自分が室に入れるよう精進せねばと偉そうに思いつつ、現実は色々とAI に尋ねている。あぁ益々視力が悪くなる。

