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『潜在能力 VOL188』12月のコラム上へ
目に見える世界は顕在、見えない世界が潜在。人は無意識に潜在意識で言葉を発したり行動をしていることが90%以上といわれる。誰でも持っている潜在能力を持っているが引き出し方が分からず、能力を発揮できずに人生を終える人が少なくない。
潜在能力は表に現れず、内に潜んでいる能力なので、見える世界に生きている人間には、見えないものは信用できない習性が身についている。ところが、ひょんなことから潜在能力が顕在化することがある。火事の時、年配者が通常では考えらない重い金庫を持ち出したりする「火事場の馬鹿力」などは正にそれ。プロゴルファーで優勝のパットを入れた選手が、パターを打つ瞬間に近くの電車が大きな警笛を鳴らしたのに気が付かなったという逸話があるが、これなども集中して潜在能力がオンになった状態だったからといえる。
この潜在能力の開花を偶然だけに頼ると運に身を任せるだけになる。この能力を引き出す方法が右脳。右脳は直感や閃きといった機能を司っている。この右脳にしっかりイメージできれば潜在能力が引き出せる。
兎角この世はストレスが多い。何かにつけます自分の思い通りにならない。他の人と合わせる許容範囲を超えイライラが募り精神的に参ってしまい、鬱病や統合失調症等の病名で社会から一時的にせよリタイアしなければならない人は多い。心が強いとか弱いとかの問題ではなく、本人が耐えられない状態に陥る。考え方や思考の切り口を変えれば、本来の自分を見つけ出し気持ちも楽になるのだろうが、これがなかなかできない。
そこで右脳の出番となる。右脳を活用すれば、「この世はなんてことはない。なるようになるさ。どんなに嫌はことがあっても、思い通りにはいかなくても命までは取られることはないさ」と開き直れる。そして自分は何ができるか、何をしたいかに思いを巡らすことができればしめたもの。潜在能力開花の入口に立ったといえる。人は思った通りの人間になる。常に何を考え、思考しているかが大事なのである。思っていればそれがいつか顕在化する。世の中とはそういうものだ。
今年も色々あったが、まぁ面白い年だった。次第に余生といえる年頃に近くなってきたが、まだまだやること、やりたいことがあるので潜在能力にしっかりと磨きをかけ続けたい。
『台風19号 VOL187』11月のコラム上へ
人生、上り坂・下り坂・まさかというけれど、10月12日から13日にかけての台風19号の水害被害は広範囲に渡り多くの人が一夜にして住む家を失うというまさかが起こった。これまで浸水がなかった地域にも水が溢れ、犠牲者も福島県が一番多かった。天災なので誰かに思いをぶつける訳にもいかず、途方に暮れている被災者のことを思うと胸が痛む。家財道具や思い出の写真、大切にしていたものが泥にまみれ、泣く泣く処分せざるを得ない心境はいかほどか。
昭和61年の8.5水害から33年。当時を経験している人は今回で2回目だという。移住することもままならず、現住居に住み続けることにならざるを得ない人達は、建て直すかリフォームして再生してそこに住むことになる。新しく建てた人や建売を購入した人も多くいただろう。保険に入っていれば補えるだろうが、精神的ダメージは計り知れない。特に年配者にとっては寒い季節に向うこの時期に安心して布団で横になることができないのは辛いことだ。
近年温暖化の影響なのだろう。地球規模で自然災害が頻発している。アマゾン川流域での山火事や南極や北極での氷解で海水の水位が上昇していることも対岸の火事ではない。人類が便利さを求めたことによる自然からの勧告が相次ぐ災害という形で現れている。
今回の19号前の15号は千葉県に大きな被害をもたらし、19号の1週間後の20号でも追い打ちをかけるような大雨で復旧仕掛けた堤防が再度流されたりと、自然の猛威に翻弄された。夏は40度超えも珍しいことではなくなり、冬は豪雪になる。2011年の東日本大震災の記憶が鮮明に残る中、他人事ではないこの自然の警鐘にどう対処できるのだろうか。どう立ち向かえばいいのだろうか。被災された誰もが苦悩しているのではないだろうか。多くの支援物資や義援金やボランティアの支えによって少しずつ気を持ち直して、やらなければならないという思いで過ごしているだろうが、これから先のことを思うと喪失感は否めない。国や県等の行政も手立てはしてくれてはいるが、個々人までは回ってはこない。ただ、どんなに困難な状況であっても人は生きなければならない。泣き言は言っていられないが、大変な時は声を上げることも大事。東日本大震災の時もそうだが、人はひとりで生きているわけではないのだから。
そしてこの多くの自然災害は人類に危機が迫っていることを気付かせようとしているように思えてならない。
『聖徳太子が消える? VOL186』10月のコラム上へ
新たな資料が見つかり検証されることによって、教科書で習った歴史が実は違っていた。なんてことが昨今散見される。
そのひとつが長らく1万円札の顔だった聖徳太子。聖徳太子といえば、女帝推古天皇の摂政として辣腕をふるい、6世紀末から7世紀初頭にかけて、わが国の政治をリードしたことで知られている。その最たるものが、603年の冠位12階の制定と604年の17条憲法の制定。以前の教科書では「聖徳太子」とだけ書かれていたものが、近年は「聖徳太子(厩戸王・うまやとおう)」となり、さらに現在では「厩戸王(聖徳太子)」に変わってきている。教科書によっては厩戸王ではなく、厩戸皇子としているものもある。因みに、聖徳太子という名は死後相当経ってから名付けられた。仏教を興隆したことを称えて「聖徳」という名称が付けられ、皇太子を意味する「太子」が付けられて誕生したもので、平安時代の半ば以降のことである。
さらに、当時の天皇制で立太子の制度(公式に皇太子となること)は確立しておらず、現在では聖徳太子が皇太子になったということも否定されている。これまでの通説では「日本書紀」の記述から、推古天皇元年(593年)に聖徳太子が推古天皇の皇太子となり、ついで摂政となって政治の実務を執ったとされてきた。ところが近年、最初の立太子は持統天皇11年(697)の軽皇子(かるのみこ)で、摂政についてはさらに時代が下って天安2年(858)、藤原良房が摂政になったのが最初とされる。つまり聖徳太子は、皇太子でも摂政でもないということなるが、摂政と同じような立場にあったのは間違いないようだ。
聖徳太子には豊聡耳(とよとみみ)という別名がある。有名な10人の言葉を同時に聞き分けることができたというのである。生まれた時仏舎利を握っていたともいわれている。そこで大きな疑問が、これまで聖徳太子の事績とされてきた冠位12階の制定や17条の憲法の制定に関係していたのかということ。まず、冠位12階については、百済や高句麗の官位制を参考にして制定されたとするのが主流になっている。又、17条憲法についても、推古朝には使われていない文言が書いてあり、後になって書き換えられたのではないかと疑問符が付けられている。果たして聖徳太子なる人物は実在したのか。新たな資料が出てくる度、歴史は塗り替えられていく。
『自助 VOL185』9月のコラム上へ
今年6月に金融庁が公表した報告書。年金だけでは老後資金が2000万円不足するという。元々年金だけで生活できると考えている人は少ないだろうが、ぼんやりしていた数字が目の前に現れ「え?何それ、そんなに?」というのが一般庶民の感覚ではないか。すでに退職しており「2000万円も貯蓄ない、どうしよう」と不安になる人もいただろう。政府は事態の沈静化に追われ、野党も表面的な与党批判に終始。国民の不安をいたずらに煽り、今後のどうすればよいのかという本質的は議論に発展しなかった。
この報告書の中身は老後に向け、ライフプランやマネープランをしっかりと立てましょうということが主眼になっている。家族構成や年齢により生活様式が多種多様な現代。つまり自分の家計をよく把握して生命保険や生活スタイルの見直しをしましょうということらしい。老後の生活を、国から支給される年金ですべてを賄うことは現実的ではない。人生100年時代においては、一人一人が他に依存しないで、自力で生活することが求められる時代になったというわけだ。
そこで過度の依存心から脱却して自助努力の精神を養わなければならない。サミュエル・スマイルズの自助論。冒頭にかの有名な「天は自ら助くる者を助く」という格言を掲げ、自助努力の重要性を次のように説いている。「自助の精神は人間が成長を遂げる礎である。自助精神が国民に根づくなら、活力ある強い国家を築く原動力となるだろう。外部からの援助は人間を弱くする。保護や抑制も度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。どんなに厳格な法律を定めたところで、怠け者が働き者に変わったり、浪費家が倹約家に励みはじめたりすることはまずない。我々一人一人が良い生活態度を身につけない限り、どれ程正しい法律を制定しても人間の変革などできない」
かつて日本人が備えていた自助努力の精神は、戦後の権利意識の高まりとともに希薄になった。働き盛りが上を支える年金は素晴らしい仕組みだが、国民皆が同じ方向を向いているとは思えない。年金受給者も納税者も不安を抱え、困窮することに怯える生活するようでは支え合うという年金の本来の意味とは遠くかけ離れてしまう。受給者は年金頼りの生活にならぬよう自助努力をしよう。老いても何らかの形で世間と接触を保つことは心身の面でも大事である。
『危ない VOL184』8月のコラム上へ
その昔、中国に鳥窠道林(ちょうかどうりん)という禅僧がいて、いつも木の上で座禅をしていた。ある時詩人としても知られる白楽天が訪れた。木の上で座禅している禅師を見上げ、白楽天は「危ないぞ、危ないぞ」と言った。すると木の上の禅師は「お前の方こそ危ないぞ」と返答した。白楽天は不思議に思って「私はこうして地に足をつけている。また社会的地位も財産もある。この私の何が危ないのだ」禅師曰く「アハハ!今のお前は積んだ薪のすぐそばに火があるようなものだ。いつ燃え出すか分からない。お前の方が危ないぞ」と言う。
確かに木の上で座禅している方がいつ落ちるか分からないので危うく見える。しかしたとえ地面に足がついていても、またどんな立派な肩書があろうとも、薪のそばに火があるようなものでいつ燃え出すか分からない。火というのは怒り、憎しみ、妬み、貪り、愚かさのこと。この人間の煩悩ともいえる本性に火がついたら足を引っ張られ、いつ燃えてしまうか分からないではないかというのだ。
仏陀は「一切が燃えている。貪欲の火によって燃え、瞋恚(しんい)の火によって燃え、愚痴の火によって燃えている」と説法した。お互いの心が、過剰な欲望である貪欲や、自分にとって好ましくない事柄に憎しみや妬みなどの感情を起こす瞋恚、正しい道理を知ろうとしない愚かさによって燃えているというのだ。さらに仏陀は、人間の過ぎた欲望がいかに危ない状況を生み出すかということを、燃えている松明を持って干し草の上に座っているようなものだとも譬えた。心に貪りの火が燃えていれば、いつか誘惑に負けてしまい、自身もまわりも燃えてしまうことになりかねない。古語に「怒りは心中の火、よく諸々の功徳を焼く」と諫めている。
禅師から、危ないとたしなめられた白楽天は、襟を正して「それでは危ないから脱する仏法の極意をお聞かせ願いたい」と問うた。禅師は「諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)」と答えた。(悪いことはしないように、善いことを行い、自らの心を浄めること)白楽天は「そんなことなら3歳の子供でも知っているではないか」と言った。そこで禅師は「3歳の子供でも知っているが、80歳の老翁でも行うことは難しい」と返した。言うは易し、行うは難し。目指すは善行、心浄でありたい。
『生前贈与 VOL183』7月のコラム上へ
① 生前贈与メリット
1相続税の節税
・事前に財産を減らすことによって節税できる
2事前の資産継承
・誰に財産を譲るのか自分の意志できることができる
・遺言書よりも確実に資産継承ができる
3認知症対策(民事:家族信託)
・認知症になると不動産の売却や金融機関で出金ができない
4相続時のトラブルリスク予防
・相続で財産の分け方を巡り、相続人が揉める争続にならないために、健全なうちに贈与者本人が何故その人に譲渡するのか説明することができる。
② 生前贈与のデメリット
・贈与税が課せられる可能性がある
③ 贈与税の基礎控除
・毎年、受け取る人の人数×年間110万円が非課
税
・毎年毎年110万円以下なら贈与税を気にすることなく贈与できる
※場合によっては相続税に転化される場合があり
④ 亡くなる3年前
・亡くなる3年以内に生前贈与された財産額は相続財産に加算される
※親の住んでいた住宅を相続で所有したが、諸事情で自分達は住むことができない。なんとかしなくてはと思っているうちに近隣から雑草が伸びてきたとか木の枝が越境してきたとか苦情がきた、管理や手入れが面倒で困っている、というような人が増加している。長寿社会となった日本は年配者の介護、孤独死、認知症等に対しての対応は避けて通れない。誰でもその時は必ずくるのだから、終活を念頭に置き、残された人達が争うことがないように、財産の見直し、身の回りの整理、遺言、生前贈与、不動産の処分も含め目の黒いうちに体が効くうちに早めの対策、準備をしておきたいものだ。
『胆力 VOL182』6月のコラム上へ
胆力 肝が据わった人。事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力のこと。小さなことでも見逃さずしっかりと対応し続けると気力が満ちてきて、多少のことでは動じないようになる。それが身につくと胆力が付く。
人生長く生きていれば、それなりの経験を積む。体のメンテナンスと同時に心のメンテナンスを無理しない程度に継続しようと心掛ける人は多い。いい歳をしてストレスでイラつきたくはない。小さなことに気を遣いながらも、何とかなるさという、緩やかさも持ち合わせる寛容さも必要。いくつになっても沢山学ぶことはあるが、すべてが栄養素になるとは限らない。取捨選択して、頭に残さなくてもいいものは、気持ちに波が立たないうちにサラリと流す。そういうことも胆力を身につけるひとつといえる。
寛容さを失った現代人は、ギスギスとした人間関係で苦悩し、自分を追い詰め、周りの人達に迷惑をかけるほど巻き込んでしまう。これだけ文明が発達しても、人の心の様は変わらないのかもしれない。心の強弱は表に見えない。生きることはただそれだけでも相当のエネルギーを要す。気力を養い充実させることが求められるが、自力で切り開く力がなくても生きていける世の中になってしまったようだ。
長寿社会の日本は便利さと引き換えに多くのモノを失っているのではなかろうか。便利さを甘受しながら、時には不便を選択する不器用さも持ち合わせたい。自分の思った通りに行かないことが多い世の中。嫌なことや苦しいことや不便を選ぶと幸せが転がることも多い。若い時はガツガツした生き方もいいだろうが、加齢により次第に緩い生き方がいい。若い時はぶつかり合うこともあるが、老齢になれば許すことも大事。生活に追われ、パンの為に働かなければならない時期を乗り越えた後の人生の後半は心に暖層を持っていたい。それには、少しの勇気と暮らせるお金とボケない頭と楽しい仲間と愛する家族と健やかな体、そして動じない胆力。これらがあれば人生バン万歳だ。果たして、これらを満たせる人が何人いるだろうか。
我人生に幸あったと完結できればいうことナシだが、まだまだ我欲が吹っ切れず、失敗を繰り返し、反発し、同じ過ちを犯す。もっともっと大馬鹿になれればいいと思うのだが、、、、
『老婆の手紙 VOL181』5月のコラム上へ
1778年1月4日(安永6年12月6日)山形県米沢西郊の遠山村(米沢市遠山町)のヒデヨという老婆が、嫁ぎ先の娘に宛てた手紙。
一フデ 申シアゲマイラセ候 アレカラ オトサタク候アイダ
タッシャデ カセキオルノモト オモイオリ候
オラエモ タッシャデオル アンシン ナサレタク候
アキエネノ ザンギリボシ シマイ ユーダチガ キソウデ
キヲ モンデイタラ 二タリノ オサムライ トリカカツテ オテツダイ ウケテ カエリニ カリアゲモチ アゲモウス ドコへ オトドケスルカト
キイタラ オカミヤシキ キタノゴモン カラ イウテ オクトノコト
ソレデ フクデモチ 三十三マルメテ モツテユキ候トコロ
オサムライドコロカ オトノサマデ アッタノデ コシガヌケルバカリデ
タマゲハテ申シ候 ソシテ ゴホウビニ ギン五マイヲ イタタキ候
ソレデ カナイヂウト マゴコノコラズニ タビ クレヤリ候
オマイノコ マツノ ニモ ヤルカラ オトノサマヨリ ハイヨーモノト
シテ ダイジニ ハカセラレルベク候
ソシテ マメニ ソタテラレルベク クレグレモ ネガイアゲ候
十二かつ六か トウベイ ヒデヨ おかのどの
ナオ 申シアケ候 マツノ アシニ アワヌトキワ ダイジニ シマイ
オカルベク候 イサイ ショガツニ オイデノトキ ハナスベク候
ある日、干した稲束の取入れ作業中に夕立ちが降りそうなので、手が足りず困っていたが、通りかかった武士2人が手伝ってくれた。お礼として刈り上げ餅を配るのが慣例であったので、餅を持ってお礼に伺いたいと武士達に言ったところ、お屋敷の北門から入ってくれ、門番に話を通しておくからと言われた。お礼の福田餅を33個持って伺ってみると、通された先にいたのは藩主上杉治憲(鷹山)であった。お侍どころかお殿様であったので、腰が抜けるばかりにたまげた。褒美に銀5枚まで頂いた。その御恩を忘れず記念とするために、家族や孫たちに足袋を贈ることにした。
上杉鷹山の善政を示すこの手紙は現在、米沢市宮坂考古館に所蔵、展示されている。ほぼ片仮名で書かれ、当時の識字率、書法の一例としても興味深い。令和の世になってこのような為政者が現れるといいのだが、、、、
『グレゴリオ暦 VOL180』4月のコラム上へ
グレゴリオ暦という暦をご存知だろうか?今でいう西暦のことである。欧州では以前、ユリウス暦という暦が使われていた。このユリウス暦は地球の公転を365.25日としたもので、実際の公転である365.2422日との差の補正を行わず、4で割り切れる年を必ず閏年としていた。そのため誤差がどんどん累積してしまい、誤差の分を修正するために、ユリウス暦の1582年10月5日をグレゴリオ暦の10月15日とし、現在に至っている。
日本では1872年から採用され、旧暦の明治5年(1872)12月2日の翌日つまり明治5年12月3日をグレゴリオ暦(西暦)1873年1月1日とした。この時に西暦と元号の月日は統一されたので、例えば明治5年12月3日に生まれた人は1873年1月1日に生まれになるのだから、明治6年1月1日生まれということになる。よって明治5年12月3日から12月31日生まれの人はいないということだ。よく歴史上の人物の生年月日が元号で表示されるがこのタイム差ならぬ日差を考慮しないと何故?という疑問も出てくる場合がある。
ユリウス暦はローマの最高神祗官、独裁者、執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施されたといわれる。キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。
グレゴリオ暦はローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じて、新たな暦として用いられた。グレゴリオ暦は現在観測で求められる平均太陽年と比べて26.821秒長いだけであり、16世紀後半にこれほど精度の高い計算がされていたことは驚きというほかない。ただ、不思議なことに今でもグレゴリオ暦を採用せずにユリウス暦を使用している教会、地域が存在している。
色々な書類や領収証やカードは西暦で表示されることが多くなったが、いよいよ我日本の次なる元号が令和に決まった。昭和は天皇陛下が崩御されて平成の元号となったが、今回は陛下の存命中ということなので、国民意識として素直にお祝いできる雰囲気である。平成が耳に馴染んでいる身としては令和に馴染むまでどれ程の時間を要するのだろうか?案外この1ケ月で切り替えできるのかもしれない。31年という1時代を駆け抜けた平成。世界では戦争や紛争が絶えなかったが、幸いなるかな日本はそういうことはなかった。平和といえば平和な31年だった。但し、平和と幸福とは違うということも痛感させられてもいる。新たな元号令和で平和で幸福感が得られる世になることを切に願う。
『引き際 VOL179』3月のコラム上へ
人生100年時代。これまでのように「定年後は余生」というライフプランが崩れ、どう生きるかが問われる時代になった。
少子高齢化社会が声高に言われるようになって久しい。新聞の広告欄には高齢者向けのサプリメントや健康器具、さらにはどう相続するかとか医者選びまで、若者向けよりも圧倒的に多くの情報が溢れている。高齢者が大きなマーケットになっていることは間違いない。いつまでも元気で暮らしたいのは誰でも望むところだが、永遠の命を持つ人は存在しない。
何事にも引き際がある。誰でもある程度の年齢になると人生の引き際を否応なくヒシヒシと感じる。体が思うように効かなくなったり、物事がなかなか思い出せなったりとそれ相応にガタがくる。
現在、容疑者として渦中にある日産自動車のカルロス・ゴーン前会長。経営難に陥っていた日産の立て直しに関与したのは1999年。大胆なリストラ等で大ナタを振るい2000年半ばにはV字回復を実現。その手腕は多方面から賞賛され、本の出版や講演等一躍脚光を浴び、メディアにも多く出演し、その顔は誰でも知っていて知名度も抜群。カリスマ経営者として名実ともに名声を馳せ、ルノー・三菱との自動車メーカーの統合も実現させた。トップ在任期間は2018年でちょうど20年。まさか身内から訴えられるとは思いもしなかったことだろう。
経営者、特にカリスマと呼ばれる経営者ほど引き際が難しい。過去にもカリスマ経営者たちが、引き際を誤り、突如取締役会で解任に追い込まれるケースが多々あった。権力の座に長く居続けると、人は知らず知らずの内に変貌してしまうものらしい。周囲が警戒を始めるのは、彼らが会社を私物化しようとするとき。その原因はカネや女や後継者の主導権争いといった場合が多い。
オーナー経営者は長期政権が基本だが、財閥系企業のサラリーマン経営者の場合などは社長、会長を歴任すれば、その在任期間は通常10年を超える。むろん「中興の祖」と言われるように創業者に次ぐような素晴らしい人も少なくない。企業の存続、継続を考えるとき、次の時代を担う後継者を育てることも経営者としての大きな役割といえる。
カルロス・ゴーン容疑者を反面教師として学ぶべきところは多い。自分で決めることができる引き際を見誤らないように。そして人生の引き際は、、、。
『時節因縁(じせついんねん) VOL178』2月のコラム上へ
仏典の言葉の中に「仏性の義を知らんと欲せば、まさに時節因縁を観ずべし」
とある。時節因縁とは「その時々によき出会いがある」ということ。人間の出会いとは不思議なもの。否、人間同士に限らず、動物・自然・絵画でも音楽でも、ハタマタ食べ物や住宅でも。琴線に触れる瞬間の出会いはあるものだ。人生は深い縁(えにし)の、不思議な出会いの繰り返しともいえる。生まれた時の両親の出会い(親からみれば我が子との出会い)から始まり、自分の意志で出会ったり、意志とは関係なくたまたまそこにいたということで出会ったり。
幼少の頃はすべて自分中心。それが病気をしたり、怪我をしたり、痛い思いをして、また言葉や行動で傷ついたり、傷つけたりして、歳を長ずるに従い、段々と多くの人に助けてもらっていることに気づく。自分の存在がどういうことかを考えるようになる。相手との距離感を近すぎず、遠すぎず、意識をしながら身につけていく。
一度縁で繋がったとしても一生続くことはその内の何人か。親子でも縁を切ることが現実にあるように、意外と続かないもの。歳が多ければ知り合いも多くなる。知り合いが多いというのと、縁が続くというのは少し意味合いが違うだろう。感覚としては5年前に仕事関係者や〇〇会で知り合った人達が今現在でも付き合っているかというとほとんどが入れ替わっている。ざっくりとだが、1年ごとに20%ずつ入れ替わっている。5年の歳月はワンサイクルなのではないか。もちろん「血は水よりも濃い」ので親戚・兄弟とは縁は切れないが、それでも以前よりは疎遠になっている。遠い親戚より近くの他人というが、まさしく現在いる場所の近くにいる人との繋がりが強くなることは必然だろう。
疎遠になってしまった人達の中には、あの人には会いたくないという人もいる。ところが、人間は時間とともに心境の変化を伴うものだ。あんなに嫌いと思っていた人の気持ちが、何かの拍子で又はその人に立場に立ってみたら、理解できた、その時は分からないが、後で分かるということが往々にしてある。そして相手に詫びたいと思うころには相手がこの世にいないということも常。親孝行したい時には親なし、ということか。
出会いに偶然はなく、すべて必然。人は会うべくして会っている。
『元号 VOL177』1月のコラム上へ
2019年、平成31年の幕が開いた。平成が4月で終わり、5月から新たな元号に変わる。
さてその元号について:元号の根拠となっているのは1979年に制定された元号法だが、これはたったの2項から成り立っており、具体的な制定手続きも、元号が満たす条件のようなものも規定にはない。
<元号法>第1項:元号は、政令で定める。第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元の制)。
元号の歴史(雄山館)によると、元号の選定条件は
① 民の理想としてふさわしいような、よい意味を持つものであること。
② 漢字2文字であること。
③ 書きやすいこと。
④ 読みやすいこと。
⑤ これまでに元号または送り仮名として用いられていたものでないこと。
⑥ 俗用されているものでないこと。
元号が変わったからといって、身近な日常が変わることはないが、この1年というスパンで考えると、昨年の今と今年の今では確かに変化している。誰もが実感していることだろうが、変化の激しい時代に生きている感は否めない。IT革命といわれた時代は過去になり、AIがどこまで進化し、日常生活に取り込まれるか、という時代だ。車の自動運転ももうすぐそこだし、スマホでお風呂を沸かしたり、エアコンをオンにする時代。アニメの中の空飛ぶ自動車も夢ではなくなった。
今年の大学箱根駅伝。5連覇が固いとされた本命の青山学院大学が2位に沈み、初優勝を飾ったのは東海大学。それもこれまでの記録を大幅に短縮する記録で制した。今回のランナー230人のうち95人が履いていたシューズが、ナイキの「ナイキズームヴェイパーフライ4%フライユニット」。昨年9月に発売された。このシューズを履いたエリウド・キプチョゲ選手が発売月の9月にベルリンマラソンで世界新記録。10月のシカゴマラソンでは大迫傑選手が日本新記録。ランニングシューズの世界も日進月歩。つまりどの分野でも、どんどん変化しているということ、もちろん変わらないものがあっていいし、変わってほしくないものを残すことも大事。いくらAIといっても人の心のようにはならないだろう、と思うのだが、、、
またひとつ歳を重ねるということになるが、元号が変わると、益々昭和は遠くになりにけり、か。